西 暦 |
天 皇 |
時 代 年 号 |
主 要 事 項 |
(古墳時代)
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337
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垂仁
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垂仁天皇25年
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(伝承)大水口宿禰、水口神社祭神で穂積臣の祖 淡海川枯姫の縁により当地開拓の神
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(大和時代) |
552
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欽明
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欽明天皇7年12月
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佛教伝来・・・ 538年佛教公伝百済聖明王伝像を伝える
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584
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敏達
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敏達天皇13年
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山直郷(伴谷、岩根、柏木、大野) 狭々城山君の一族山直氏が統括した
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(奈良時代前期) |
671
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天智
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白鳳10年
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罐子塚古墳(字引坊)甲可臣一族の墓墳か
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(奈良時代後期) |
782
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桓武
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延暦元年
|
思ひ川・・・ 桓武帝名付く「近江がた岩根のまへの思ひ川、川上もなし、川下もなし」(甲賀の歳月)より
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(平安時代後期) |
948
|
村上
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天暦2年11月
|
日吉神社(旧 十善神社)
祭神 大山咋神命勧請鎮座 農林守護の神
貴船神社
祭神 高龗神命勧請鎮座 水の神 |
957
|
村上
|
天徳元年
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伴宿弥資守早俊(伴氏の祖)甲賀郡長となる 〜959
|
1041 |
第15代
応神天皇 |
長久2年 |
八幡神社
祭神 応神天皇勧請鎮座 |
1045 |
後冷泉 |
寛徳2年 |
柏木荘に入る(北脇、宇田、植、酒人、泉、名坂、林口、松尾、中山、下山、春日、山
八田、上村) |
1114 |
鳥羽 |
永久2年 |
柏木御厨の一郷として下山郷が存したとの史実具現する |
1164 |
二 条 |
長寛2年 |
栢木御厨新立せらる。五郷とは 1.山郷(上、堂、下、)
2.中山郷(中山、春日)
3.下山郷(下山)
4.柏木郷(宇田、名坂、松尾、北脇)
5.酒人郷(酒人、泉、植) |
(鎌倉時代) |
1309 |
花園 |
延慶2年11月 |
伴太郎左衛門景秀(播磨守とも)下山城を築き、畑村、中山村、下山村を領す
この時代以降中山村を伴中山村と改称、 |
1337 |
後醍醐 |
建武4年 |
伴太陽守資景足利尊氏属し、畑村城を築く(現春日) |
(室町時代) |
1413 |
稱光 |
応永20年 |
能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)伴氏の菩提寺として僧隆尭法印の弟子尭誉隥真上人創建
※(俗説に応永23年とも) |
1487 |
後土御門 |
長亨元年10月 |
長享の乱起こる 甲賀五十三家 戦功あり
・八田勘助(左近介とも云う)京都真如寺正賑院の下司として居住六角高頼の旗
下、八田館に住す
・上山新八郎、上山城に在り六角高頼に属し、正徳2年迄居住
・中山民部丞、伴氏の一族で長享2〜3年に中山城を築き、六角高頼に属す
・伴 左京介資頼・・・ 下山城に在り、高頼に属す。二十一士にたたえられる |
1469
〜
1487 |
A |
A |
瑞岩禅寺、伴家の祈願寺として建立される 昭和33年(1958)瑞岩寺本堂改築される |
1532 |
後奈良 |
天文元年 |
津山城(下山字細佐にあり) 津山左京資玉の居城か |
1566 |
正親町 |
永禄9年 |
伴、山中、美濃部、三方起床請文を作り、地下の治安維持をはかる |
1570 |
正親町 |
元亀元年 |
伴太郎左衛門資宗、織田信長に仕える |
(桃山時代) |
1582 |
正親町 |
天正10年6月 |
本能寺の変にて伴資宗、信長と共に戦死し、下山城廃滅する |
1596〜1615 |
慶長(年間) |
能徳山九品寺本堂、庫裡全焼する(山門は無事) |
1600 |
後陽成 |
慶長5年 |
関ヶ原の戦後岡山城落(城主長束正家の室、栄子姫思ひ川沿いに北脇へ逃る)
伴上野守資光、朝国、八田を領す |
1686 |
|
貞亨3年 |
能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)僧見達再建する(本堂) |
1692 |
東山 |
元禄5年頃 |
瑞岩寺(黄檗宗十一面観世音菩薩) 大眉禅師中興す |
1694 |
|
元禄7年 |
水口宿 助郷の制定める(東伝馬36疋) |
1831 |
|
天保2年 |
九品寺および瑞岩寺において寺小屋教育行われる |
1842 |
仁孝 |
天保13年10月 |
甲賀一揆起る一天保義民蜂起し横田川に集り野洲郡に入る |
1843 |
A |
天保14年 |
天保義民 ・伴中山村 百姓伝三郎、百姓清八 中追放の罪状を受ける
・下山村 百姓伊蔵 他52人 過料銭八貫文
・下山村 百姓甚六、百姓源右ェ門 過料銭三貫文 |
1863 |
A |
文久3年 |
能徳山九品寺庫裡再建される |
1867 |
A |
慶応3年 |
大政奉還 明治維新となる |
(明治時代) |
1868 |
明治 |
明治元年 |
神仏分離令出る(廃仏毀釈運動起る) 王政復古布告
明治天皇東幸 水口にて小休あり
十善神社を日吉神社に改める |
1869 |
〃 |
明治2年 |
版籍(水口藩2万5千石)奉還 加藤明実 水口藩知事となる |
1870 |
〃 |
明治3年 |
平民に苗字を認める |
1871 |
〃 |
明治4年 |
廃藩置県により、水口県と称し、同年11月大津県に属する |
1872 |
〃 |
明治5年 |
滋賀県に所属する 8月に太政官布告により学制頒布 太陽暦採用 |
1873 |
〃 |
明治6年 |
徴兵令公布 地租改正 区長 戸長をおく |
1874 |
明治 |
明治7年3月 |
学校の創設(学制発布により)
余力学校・・・・伴中山村、下山村(伴中山智禅院の庫裡を借用し、合併の学業)
敬心学校・・・・春日村、八田村 春日渓蓮寺、八田西栄寺 |
明治7年7月 |
行文学校・・・・山村、松尾村 山村神社内 |
明治7年10月 |
畑村を春日村と改称 |
1875 |
〃 |
明治8年7月 |
上村、堂村、下村を山村と改称 |
1879 |
〃 |
明治12年7月 |
郡制を復活し、甲賀郡役所を開庁さる |
1880 |
〃 |
明治13年7月 |
当時の人口と戸数
八田 62戸 310人 春日 98戸 503人 下山 73戸 353人
伴中山 119戸 641人 山 119戸 568人 計471戸 2,375人 |
1881 |
〃 |
明治14年3月 |
下山、西市場に校舎を新築し伴中山と分離、下山学校を開校する
(前公民館跡、現九品寺駐車場) |
1886 |
〃 |
明治19年4月 |
春日尋常小学校・・・・(小学校令で尋常科4年、高等科4年を定める)
通学区域は八田、春日、下山、伴中山、山村 |
1886 |
〃 |
明治19年9月 |
高等科甲賀小学校の創立(旧水口公民館)水口町外97ヶ村組合立甲賀学校と称した |
1889 |
〃 |
明治22年 |
大日本帝國憲法発布 |
1889 |
〃 |
明治22年4月 |
市町村制施行により伴谷村に改称 (以前は春日村他5ヶ村で下田村を含んでいたが、この時八田、春日、下山、伴中山、山で一村となる)
初代村長 西田忠兵衛氏 |
1892 |
〃 |
明治25年 |
伴谷村夜学会
上山尋常小学校、中山尋常小学校、春日尋常小学校に改称される |
1893 |
〃 |
明治26年8月 |
伴谷青年会発足 15才〜30才迄義務制 |
1894 |
〃 |
明治27年 |
日清戦争開始される |
1898 |
〃 |
明治31年4月 |
初代郡会議員に吉田冨吉氏(その後の郡会議員に西田忠平、宮路茂兵衛、菊田庄兵衛、中尾象一、中島馬吉、西田忠兵衛各氏) |
1904 |
〃 |
明治37年 |
日露戦争起る(水口町志) |
1904 |
〃 |
明治37年2月 |
伴谷尋常小学校新築さる 大字伴中山字彼岸田2229番地2268番地
敷地面積 4反3畝10歩 買入金額 ¥1285円39銭
校舎建築 明治35年4月起工 明治37年2月16日竣工式 建坪数 241坪
工費計金 ¥9,557円47銭2厘也 |
1905 |
〃 |
明治38年 |
伴谷村婦人教育会創立さる |
1906 |
〃 |
明治39年4月 |
伴谷裁縫学校 修業年限3ヵ年開校さる
当時の職別戸数と人口
農家 451戸 工業 8戸 商業 14戸 雑常 7戸 教員 3戸
僧侶 10戸 日雇 1戸 計 494戸 人口2,889人 |
1910 |
〃 |
明治43年2月 |
優良団体(模範村)として内務省より表彰を受ける |
1911 |
〃 |
明治44年 |
村役場、農業組合事務所2ヶ所に電話開通さる |
1911 |
〃 |
明治44年9月 |
中井清吉氏 県会議員に当選(明治44.9〜大正4.9迄) |
(大正時代) |
1913 |
大正 |
大正2年 |
伴谷尋常高等小学校と改称
各家庭へ電灯つく |
1914 |
〃 |
大正3年 |
第一次世界大戦始まる |
1916
↓
1921 |
〃 |
大正5年
↓
大正10年 |
広野地先の耕地整理行われる(圃場整備)
対象面積 11町2反
溜 池 2町 事業資金困窮のため財政的難事業を辿った |
(昭和時代) |
1928 |
昭和 |
昭和3年 |
昭和天皇即位の大札を行う
普選による第一回総選挙実施さる |
1931 |
〃 |
昭和6年 |
満州事変起る |
1933 |
〃 |
昭和8年 |
九品寺五重相伝(白木孝準上人)行なわれる |
1935 |
〃 |
昭和10年4月 |
青年学校令施行に基づき伴谷青年学校開校 S14年義務制となる |
1937 |
〃 |
昭和12年 |
日吉神社石造手水屋建立
本石造手水屋は坂本日吉大社の手水屋に習ったもので総石造りは珍しいとのこと |
1937 |
〃 |
昭和12年7月 |
日華事変起る |
1940 |
〃 |
昭和15年 |
天皇紀二千六百年記念事業 果樹園造成 |
1941 |
〃 |
昭和16年4月 |
伴谷国民学校と改称 |
|
|
昭和16年12月 |
太平洋戦争開始 |
1944 |
〃 |
昭和19年 |
集団疎開児童を受け入れ、大阪津守区民学校児童73名共学する
農耕兵約60名駐屯 |
1945 |
〃 |
昭和20年8月 |
ポッダム宣言受諾 終戦(敗戦)となる |
1946 |
〃 |
昭和21年 |
農地改革実施される 日本国憲法発布 |
1947 |
〃 |
昭和22年 |
学校教育法による六・三制の誕生 教育基本法
伴谷小学校と改称 修業年限6年
水口中学校と改称 修業年限3年 |
1948 |
〃 |
昭和23年 |
農業協同組合設置される |
1951 |
〃 |
昭和26年 |
昭和天皇滋賀県下巡覧水口中学校校庭に行幸 |
1952 |
〃 |
昭和27年 |
思い川改修工事下山字柳瀬地区より始まる 昭和54年 思い川改修工事竣工 |
1955 |
〃 |
昭和30年 |
町村合併促進法により改称 新生水口町誕生
(伴谷村、柏木村、水口町、貴生川町、4ヶ町村合併による) |
1956 |
〃 |
昭和31年 |
伴 隆一氏村議に引き続き、初代町議会議員に(〜1960) |
1959 |
〃 |
昭和34年 |
下山公民館改築 (前公民館跡、現九品寺駐車場) |
1960 |
〃 |
昭和35年 |
上水道完成 各家庭に送水さる
下山字市場並びに引防地区丘陵地を工場誘致として開発 土地売買契約が成立
面積 赤松雑木林約20町歩 誘致企業 積水化学工場 積水化成品工業
地価売却単価 5万円/1反当たり |
1962 |
〃 |
昭和37年 |
農協第一次合併 伴谷、柏木、貴生川で水口町農協 |
1967 |
〃 |
昭和42年12月 |
伴谷小学校校舎火災にあう |
1969 |
〃 |
昭和44年2月 |
九品寺第32世白木孝準上人逝去(享年94歳) 後任に第33世白木孝伯上人(僧籍2ヶ年間) |
1970 |
〃 |
昭和45年12月 |
牛飼塚、広野、丈ヶ谷の山林を住宅地開発として契約を締結する(現 東西広野台)
契約者 椛蜻q建設 対象面積 16ヘクタール余(160,000u) |
1971 |
〃 |
昭和46年7月 |
九品寺 第34世大田丈光上人入山
高田金男氏町議会議員に(〜1980) |
1973 |
〃 |
昭和48年11月 |
九品寺大田丈光上人による第一回五重相伝 (受者68名) |
1975 |
〃 |
昭和50年 |
日吉神社社務所改築 |
1977 |
〃 |
昭和52年11月 |
九品寺大田丈光上人による第二回五重相伝 (受者84名) |
1978 |
〃 |
昭和53年4月 |
農協広域合併 水口、土山、甲賀、甲南、信楽5農協で甲賀郡農業協同組合誕生 |
1979 |
〃 |
昭和54年 |
日吉神社 初老対象者より神輿寄進される |
1986 |
〃 |
昭和61年〜
平成9年 |
県営圃場整備事業行われる 山、伴中山、下山3工区
下山工区関係面積 59.2ha |
1988 |
〃 |
昭和63年4月
昭和63年3月
昭和63年10月 |
下山区有林(総山)岩根との境界紛争 大谷336-2 甲西町と調停裁判 和解
傍田清蔵氏町議会議員に(〜1996)
九品寺本堂全面改築 (乾建設施工) |
(平成時代) |
1991 |
〃 |
平成3年11月 |
九品寺大田丈光上人による第三回五重相伝 (受者92名) |
1994 |
〃 |
平成6年4月
平成6年12月 |
農協広域合併 甲西、石部加わり甲賀は一つのJAに
九品寺庫裡全面改築 |
1995 |
〃 |
平成7年1月 |
下山区 法人格取得 |
1996 |
〃 |
平成8年3月
平成8年4月
平成8年11月 |
下山公民館 現在地に新築移転
下山水利組合誕生
九品寺 第35世大田光彦上人晋山 |
2001 |
〃 |
平成13年〜
平成15年4月 |
行政改革委員会の設置
行政改革の実行 区行政事業と改良組合事業を分離 |
2003 |
〃 |
平成15年 |
伴谷東小学校新設 |
2004 |
〃
|
平成16年
平成16年3月
平成16年10月
平成16年12月 |
農村下水は八田、春日 公共下水は山、伴中山、下山地区の工事が完了する
伴 資男氏町議会議員に、引き続き市議会議員に(〜 )
水口、土山、甲賀、甲南、信楽5町が合併し、新生甲賀市が誕生
思い川高橋 県道拡幅に伴う架け替え完成 |
2005 |
〃 |
平成17年4月
平成17年8月 |
公共下水道完成 供用開始
市道、泉下山線の開通 (工事着工 平成14年) |
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