石 造 遺 品

  1.石 塔

             

    九品寺境内の宝筺印塔
   下山の地内では最も古い石造品と考えら
   れます。台座右に、かすかに残る三茎蓮
   の図とその朽ち具合から九品寺創建前の
   全隆院から移設したもののようです。

 九品寺墓地(臼井文子氏管理地内の法華塔)
   寛政8年(1797)に臼井家の先祖祐慶氏
   の法華典読誦三昧による満行の記念塔と
     思われます。
 (伴隆一氏著「ふるさとの下山」の解説とは若干異解釈
  の部分があります。)

   

 2.手水屋  
       神社に参拝する時、手水をつかって身を清め
  ますが、我が日吉神社の手水屋は近隣では見
  られないめずらしい石造りで立てられています。
  日吉大社の手水屋を摸して造られたもので、昭
  和12年に氏子の方々が奉納されました。

  3.石 仏
       下山には古来から伝わり、そして先祖から引き継
  がれて来た数多くの石仏が残っております。現代
  私したちは、その石仏のことを伝説の中から特定の
  信仰の象徴としたり、また長い年月、何代にも亘って
  地域の人々と接して護ってこられた大先祖として今日
  もなをお祀りつづけております。そのうち何本かの石
  仏を改めて紹介いたします。


     中の垣内の地蔵さん
  臼井定雄氏の西の道ばたに五体祀られ
  ております。

   
       善隆院跡から出土した石仏群
 (臼井満夫氏宅裏の山林)浅野真氏家で祀っておられます。

   
        西の垣内の 地蔵さん
   (瓦葺きの
立派な堂の中に祀られております。)

    
 特にこの地蔵さんは母乳を授ける地蔵さんとして慕われて
 きております。今もお参りの信者が多くおられます。
     占いの石もおいてあります。
  
   境内敷地に四体の石仏が合祀されております。

  

 西市場の地蔵さん
     九品寺境内の六体地蔵さんの北側で中市場の地蔵さんと
   
同 一棟でお祀りしておられます。
    その昔、自然石で造られた仏像をお祀りしていたそうですが、
    不思議なことにその御影を拝した人はあまりなく幻の地蔵さん
    とも言われておりました。 
     昭和63年(1988年)
月に現在の御身丈53センチメートル
   (蓮花台を含む)のお地蔵さんを開眼して、以
後垣内中でお祀
    りしておられます。
       
他にこのお地蔵さんの脇に三体の石仏が祀られています     


   西市場の石仏さん

  

 中川清一氏宅北西の県道脇に二体
 の石仏が祀られています

 西市場の徳本碑

  通称 駒の口と呼んでいる県道沿いの繁みの中にた
 てられていますがこれは石仏ではなく南無阿弥陀仏と
 刻まれた石碑です。
  宝暦8年(1759)現在の和歌山県で生まれた徳本と
 言う和尚が念仏に励まれ数々の荒行を積まれて全国
 を巡業の旅に出られ当地へもお立ち寄りになられた
 時に揮毫されたものを信者であった佐井久三郎氏が
 資財を浄じて建立されたものです。
  徳本和尚は文政元年(1818)61歳で江戸にてなく
 なられたそうです。

 

 中市場の地蔵さん
     九品寺の境内で西市場の地蔵さんと同一棟に祀られ
 ております。
  二体あるうち右側の地蔵さんは宝暦年間(1751年〜
 1763年)伴十太夫の子で伴義太郎が福蔵寺の住職と
 なり四国八十八ヶ所を巡礼して満願記念のためこの地
 蔵さんを祀られたそうです。
  左側の地蔵さんについての謂れは不明です。

 

  迎山の地蔵さん
   
本来は寺院ですが、現在は迎山の
 集会所としても利用されている鉄骨
 造りの建物で仏像や石仏を祀ってお
 ります。(寺院変、玉蔵寺の項参照)

 ある時期祈祷女による占いがなされ
 ていたこともあり、その占い石が今も
 保存されております。

 


  敷地内にはたくさんの石仏が祀ってあります。

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