地      誌

 1.位 置
  下山は、甲賀市の北西部にあって、なおその西方は湖南市の岩根、朝国に隣接しています。 
  東方は市内の伴中山に接し、南は同じく市内の泉、北脇に、そうして北は丘陵、渓流を境に市
  内の春日及び湖南市の岩根にも接する位置にあります。
  東西に走る国道1号線を400メートルの南に控え、これから発する主要支線として県道泉日
  野線が泉の国道伴谷口から下山を経て、伴中山、山へと通じています。
 2.地 勢
  下山は、源流が市内の松尾に始まり湖南市の岩根へと流れる一級河川の思い川が東西に
 貫流し、これに沿う南北の高地部に家屋が長く配され、低部は耕地として活用されています。
 周辺は、丘陵地もしくは山林に囲まれていましたが、近時の頻繁な土地開発によって北部山間
 部を残して、南部の大半は工業地帯に準ずるような形態に変わってきています。
  それでは、下山の面積はと観ると甲賀郡志に示されるように「東西18丁(1丁は109メートル)
 南北に18丁」とあり、地形としては西方に鋭角を示す概ね三角形を呈しているところか192.5
 
ヘクタール(推定)となります。なお、明治38年(1905年)の下山の覚え帳によると、当時の世
 帯72戸に対し田66町歩余、畑6町3反歩、山林91町3反歩とあり、合わせると163町歩余と
 なり、他に宅地や道路、河川等の公共地を加えると、下山の地積は、ほぼ上記の推定面積に
 一致してきます。
  ところが、現在ではこのうち、さつきが丘や積水化学工業などのように下山の地名を離れて
 新たな地名を称したり、あるいは別の地域に編入をされるなどの他、東西の広野台のように同
 じ大字下山であっても、独立した行政自治区を形成、運営されている地域があり、これらを勘
 案すると相応の面積をここから減ずることになります。
 3.地 質
  昭和28年(1953年)頃、思い川の曲部改修工事が行われた際、田んぼの底のヌリ状の粘
 土塊の中から大きな貝の化石を見つけて不思議に思ったことがありますが、それもそのはず、
 今から270万年の昔はこの地域一帯は、のちに甲賀湖と呼ばれることとなった古い琵琶湖で
 あったようです。数々の自然現象を経て現在の位置に琵琶湖が移動したのだと言われていま
 すが、なる程とうなずけるものがあります。
   このためか地層は複雑ですが、下山の場合概ね埴壌土質です。