昭和50年、社務所を新築するため東側に敷地を広げられた際、山の斜面から「かめ」に入っ
たお骨が出てきましたが、そこに墓地があったのか、寺があったのか興味深いところですし、
境内の東側には中山寺と称する寺があったという説も伝わっています。
(鎮座の時期)
大山咋神命がこの地に鎮座され、お祀りが始まったのは西暦948年です。醍醐天皇の流れ
をくむ村上天皇が即位されていた天暦2年11月で平安時代の初期の頃にあたります。
この地を下山と言ったのか、何人位の人達が暮らしていたのか記録はありませんが、千年以
上の昔であることに歴史の重みを感じます。
(八幡神社)
神武天皇から数えて15代目にあたる應神天皇をお祀りしています。
長久2年(1041年)に当村小字前田に鎮座されたとありますが、場所は不明です。
(合祀の理由)
貴船神社と八幡神社は、日吉神社とは別の場所にあったと思われますが、昔からその由緒
が不詳でした。境内や社殿の維持管理、それぞれのお宮さんごとに祭典を行うことなどが大変
であったようで、明治41年(1908年)に当時の氏子の皆さんが相談され、現在の日吉神社に
合祀されました。なお、その許可札があり明治42年7月10日に合祀祭があったと記録されて
います。
現在では2月に貴船神社祭、9月に八幡祭として祭典が行われています。
(摂社) ※ 日吉神社の縁故神の意
【嬉社】
玉依姫命がお祀りされています。この神さまは、神武天皇の母君にあたる方だと言われてい
ます。社殿は旧貴船社を移築してお祀りされています。
【稲荷神社】
祭神は稲誉魂命で、以前、当村字柳瀬、通称稲荷山といわれるあたりに鎮座されていたもの
を明治41年日吉神社境内に移してお祀りされています。
【宗忠神社】
この神社の祭神は教派神道の一つで、その教祖といわれる黒住宗忠をお祀りしています。黒
住教というのは天照皇大神を宇宙創造、万物化育の神として人間はすべてをこの神に託すと
いう教えを説いておりまして、この教派の本部は岡山県尾上にあります。
実は、この祭神をお祀りしていた祠(ほこら)は、九品寺前(県道沿い)の現駐車場の位置に
ありましたが、ちょうど明治14年(1882年)に下山学校をここに建設するなどのため、現在の
日吉神社境内に遥拝所を移設し奉ったものです。
神道系の霊を寺院の境内にお祀りしていた史実、そしてまた明治の初期にはここから神社
の境内に移し変えなければならなくなった事実などを知るとき、当時の神仏習合から離合に至
るについて、時の政府の介入や、こだわりのほども併せ伺うことができます。
なお、日吉神社では、毎年、冬至祭の日に宗忠神社の祭礼が併せて行われます。
ところで、宗忠神社にまつわる伝説的なものとして長刀踊りというのがあります。この長刀踊
りは嘉永年間(1848年~1854年)より明治初年まで続いた行事と伝えられています。
当時、九品寺前に祀られていた宗忠神社から、氏神さま(日吉神社)の春の祭日に村中の1
3才から25才までの男子が武者装束で長刀を振り、掛け声勇ましく、鐘や太鼓に合わせて踊
り歩き、氏神さまの境内でも長刀踊りを奉納したとされ、その距離は十町(1キロメートル余)の
道中であったと伝えられています。
日吉神社の小宮さんの裏手に木製のなぎなたが納められていますが、もしかしたら当時の長
刀踊りに使われたものかも知れません。
(拝殿)
瓦葺入母屋造の立派な拝殿です。大きさは十六尺七寸四方縁三尺とありますから、およそ
5、6メートルの正方形の建物です。大正15年4月に建立され、当時のお金で1,500円を要
しました。さらに、材木はすべて氏子の方々の献木によって建てられたとのことです。
また、付帯工事として拝殿前の石垣(高さ3.3メートル余 長さ22メートル余)が築造されま
した。
記録によると拝殿の竣工式には餅まきや素人宮すもう、謡曲などが盛大に奉納されたという
ことです。当時をしのぶものとして拝殿東側に額がかかっています。
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