道、 川、 橋

  下山の在所の中を通る道、あるいはここを流れる川、またはそこに架かる橋などは、長い年
 月をかけてその形状や構造を大きく変えながら現在にきています。言うなればこれは、ふるさと
 文化の進化へのうつろい(移り変わり)であって、ここに辿り着くまでにはその時、折々の関係者
 (役員さん等)の努力であったり、その事業に必要な敷地提供の協力者のおかげであったり、ま
 たこれら地域で共有することとなる膨大な施設の手入れや草刈り等、維持管理に余念なく努力
 する住民の結集のあらわれでもあるのです。
  いにしえの道がどんなものであったかは分かりません。けものが通っていた道を人間が切り拓 
 いて、人の通る道に広げてきたのかも分かりません。上の方から流れてきた山や谷の水が大
 きな木の根や竹藪を避けながら西へ西へと流れ続けて出来たのが思い川の元祖であるような
 気もします。何れにしても残念ながらこれらに関する古い資料は存在しませんので、地域の古
 老や年長者の記憶の範囲内、長い長い歴史からすればほんの瞬間にも等しい70年程(1937
 年)の姿を地図に再現してみました。地図と比較しながら想像してみて下さい。
     
なお、川、道とも主要路線のみの説明にとどめます。
 1.道 路
 (県道泉、日野線)
  道路幅は2回以上にわたって拡幅されていますので、現在の半分以下の幅員でした。方線は
 現在とあまり変わっていませんが、高橋は思い川の改修前ですので現在の位置より約70メート
 ル程北に架かっていました。次に中市場地先にきて当時は伴兼利氏宅の東側でなく裏側(北)
 を通って西側を沿いながら南西に伸び、現道に繋がっていました。今もその道は、旧道として残
 されています。
 (市道中の垣内、西の垣内線)
  林田清光氏宅前から西の垣内を通って広野台に通ずる道ですが、これは広野台の開発に併
 せて開発者によって大きく拡幅されています。なお、本路線は、その時に浅野真氏宅南側へ、
 細佐地先は県営ほ場整備時に約30メートル北側へ方線の修正がされています。
  浅野真氏宅北側については旧道が残されていますが、細佐地先については、ほ場整備による
 換地処理がなされているため旧道跡敷地は残っていません。
  西の垣内では、井上幸広氏宅の西を通って菊田茂次氏宅前を経て岡田治氏宅前に通ずる道
 路が本道路でしたため、現在の表道路になっている市道としては、伊藤修実氏宅で終って(切れ
 て)いました。
 (市道中市場、迎山線)
  県道から伴肇氏宅裏そして竹内重行氏宅裏を経て同氏宅東側を南下して佐井一郎氏宅前を
 東に通じていました。これは、旧道として敷地が残っています。
  佐井一郎氏宅前から傍田勇氏宅東へと通ずる道路は、若干の屈曲を修正しながら拡幅を施
 し、市道北脇、八田線を南に通じて現在の北脇墓地前に繋がっていました。市道北脇、八田線
 は、後にさつきが丘工業団地の開発に併せて造成されたものです。
 2.河 川
 (思い川)
  思い川については、地図上に表われている通り、狭くて曲りくねっており河川と言うには極めて
 効率の悪い、あまりにも自然まかせの小川でした。そのため、大雨の降る度に堤防の決壊や田
 畑の冠水は茶飯事のように被り、実りかけた稲を押し倒して田んぼの中に泥水と共に流れ込ん
 だ砂利や砂をブリキのバケツで掬い出すことが、洪水後、明けても暮れてもの仕事でした。おそ
 らく流れ込んだ土砂の堆積量にもよりますが、10アール分の修復作業に1週間も10日もかか
  ったようです。そのうえ、秋の収穫量は良くて半作、悪ければ皆無でした。この現実や実態から
  大きく進んで現在の立派に整備された河川に生まれ変わったのは長い長い歴史からみれば、
  つい昨日か一昨日の出来事にも匹敵するほど最近のことになります。

 以下「思い川と河川改修について」の項などを参考にして思いを馳せてみてください

   3.橋
    橋についても別項「思い川に架かる橋の調べ」にあるように、現在は随分立派な橋に架け替
  えられています。
    この項で「一本橋」とありますのは、川幅の狭い昔は、人が川を渡るために大きな丸太を二つ
  に割って、人間だけが歩いて通れる橋が架けられていたもので、これが思い川の要所各所に架
  けられていました。
    井堰については、どんど橋の下流120メートルの位置に施されている現在の一の井堰を超小
  型化したもので、川に杭を打って粗朶や石ころを置いて川の水位を上げて水田に川の水を引き
  込むという古風で素朴なダム施設でした。
                                    「道、川、橋」 新旧比較図の凡例
   1.下の地図は、平成14年の現況地図に約70年昔(昭和10年 (1935年))の道、川、橋の
        状況を被せ描いたものです。

   3.設定年(昭和10年)後の新設や改修、拡幅の工事は、各種多岐 にわたっていますので付
       記、解説を省きます。
  
4.道路については、市(町)道ならびに県道クラスについてのみ表 示し、俗称「三尺道」につい
       ては省略してあります。
  
5.あくまでも記憶範囲内での記載ですので、若干の相違はご容赦く ださい。

 4.思い川と河川改修
  全国で7つあるといわれている「一級河川思い川」のうち下山を流れる思い川は、その源流が
 日野町別所境より始まり松尾から山、伴中山、下山と流れ、湖南市(旧甲西町)岩根を通り野
 洲川に合流しています。いずれも集落の中央を流れ、過去には雑木、竹藪等を回りくねった河
 川でしたので、水害等が多く発生し、下流の下山、特に大きく蛇行した柳瀬、前田地先では、年
 2〜3回、風水害で周辺の田畑が冠水し、その濁流が県道を横切り、丹精込めた農作物(米、
 麦、菜種)に甚大な被害をもたらしました。また、低地の人家に浸水し、長い間住民は悩まされ
 ていましたが、昭和28年(1953年)より思い川の改修工事が、旧一本橋周辺(伴資男氏宅の
 裏)より東(上流)にむかって始まりました。当時は、素掘りの材料は松、杉、桧といった素朴な
 工事でしたが、コンクリートブロック等による護岸が昭和57年(1982年)に
完成し、住民の長

 年の念願が叶うこと になりました。
  しかし、近年になり工業団地、住 宅団地、ゴ
 ルフ場造成など上流周辺 の土地開発と10年
 に一度の大水が 想定され、更なる河川拡幅改
 修が計 画され、平成17年(2005年) に下山
 細佐(旧一の井)井堰から始まり、最終は伴
 中山の馬場橋までの間の1.6キロメートルの 
   改修がされることになります。


       【思い川河川改修竣工記念碑】

一級河川思い川改修前の全景(柳瀬旧一本橋より柳瀬旧ポンプ小屋)

 (起業者、滋賀県土木部河川課の概要レジメより抜粋)
 1.流域の概要   
  思川は、甲賀郡水口町の北西部に位置し、その源は、日野町境にある標高201.9mの丘
 陵部に端を発し、水口町、甲西町を縦走して県下の主要河川野洲川に合流している。その流
 域面積は25.1ku、流路延長13.28kmの一級河川である。

  本川は、当該流域における水口工業団地、湖南工業団地の広範囲の開発、或いはほ場整
 備等近年の急激な流域の形状変化による流出増、及び流域内の宅地造成による人口の増加
 のため出水による被害は年々増加する一途であった。特に、本地先(下山)においては、昭和
 51年9月8日から14日にかけての台風17号による集中豪雨の出水により、その河川流路の
 大半が決壊し、人家田畑等多大の被害を蒙ったため、昭和51年度の災害関連事業として採
 択され着手した。

 2.事業の目的
  この災害関連工事は、単に現状復旧にとどまらず治水対策として、河積の拡大、河道線形の
 是正などを実施し、今後の被害を未然に防ぎ民生の安定を図ったものである。

 3.工事諸元
   所 在 地               :滋賀県甲賀郡水口町大字下山
   河 川 名               :一級河川 思 川
   工事月日              :着工  昭和52年2月  完工 昭和54年3月
    総事業費               :23,000万円
       起 業 名               :滋賀県土木部
 4.設計諸元
   流域面積                :17.0ku(計画基準点)
    計画高水流量           :130mS   10年確率
  .工事概要                             
        全体施工延長              L  =1,203m  
        護岸積ブロック             A  =7,013u  
        植石コンクリート張工   A  =2,669u  
        床止工                                1.0基        
        ボックスカルバート             1.0基        
        町道橋                                2.0橋      
        用排水路工                        1.0式        
 
6.事業費及び工事内容    

総事業費

23,000万円

全体施工延長        L=1,203m

昭和51年度

4,800万円

施工延長            L=  263m

昭和52年度

11,900万円

施工延長            L=  857m

昭和53年度

6,300万円

施工延長            L=1,200m

 

 

51年〜53年 延 L=2,320m


着工前


          着工後


着工前


          着工後

    「思い川」に架かる橋のしらべ  1級河川)

        参考) 思い川は、全国に7箇所あります。

区域

川下からの橋

参  考

延長(q)

下 山

 1 広野橋

昭和51年10月竣工

2.5q

 2 新廣野橋

平成17年4月竣工

 3 牛飼橋

昭和52年11月竣工

 4 どんど橋

平成5年4月竣工

 5 高橋

平成16年4月竣工

 6 迎山橋

昭和44年12月竣工

 7 新迎山橋

平成2年3月竣工

伴中山

 8 堂垣内橋

昭和50年5月竣工

1.6q

 9 馬場橋

昭和52年10月竣工

 10 西出橋

(甲賀郡農協伴谷支所南)

 11 長徳橋

平成2年2月竣工

 12 比羅尾橋

(百姓村に架かる橋)

 13 峯道橋

(広瀬輝雄氏宅の南)

2.4q

 14 城之橋

平成元年6月竣工

 15 天神橋

(旧ヨウズハ橋)

 16 向出橋

(山区集会所南)

 17 極楽橋

(堂村の小橋)

 18 百々谷橋

(上村の小橋)

 19 玉台寺橋

 

 20 城ヶ峰橋

平成10年4月竣工

 21 小橋

(上村の小橋)

 22 小橋

(松尾境の橋)

松尾境迄

伴谷管内総数22橋である。          総延長6.5q

 思い川改修前に於ける井堰の記録

          下山地先一本橋廃橋の記録

    一の井堰二の井堰
    三の井堰
     四の井堰
      五の井堰
新田
    
 

     引 坊
     細 佐
     平ツバ(引坊)
     クログルマ (広野)
     二反田.大沢
     新 田

大沢の橋
掛田の橋
棚 橋
良蔵橋

     丈ヶ谷〜大沢
     細 佐〜引坊
     細 佐〜市場
     下の前〜柳瀬

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