故   因  習

  昔の農家では、農作業を営んだり、また日常生活を送っていく上で地域内の申し合わせなど
 によって、お互いにけん制し合ったり、あるいは助け合ったりして協同意識を培い、琢磨して暮
 らしを支えてこられました。例えば、わたくしたちの下山で行なわれてきた因習(風習)の代表的
 なものとしては、次のようなものがあげられます。
 1.野止め
  いわゆる野休日のことです。この日は田んぼや畑に出て仕事をしてはいけない日と地域で申
 し合わせで決めていました。昔の農家は毎日が野良に出ての仕事でしたので、仕事を休む日を
 決めないとゆっくり楽しく休んでいることができません。農業機械のない時代の農業では、それ
 だけ仕事にも手間暇がかかったものです。
  「農繁期を除く各月の3日は野止めの日」と決められていた40年から50年前がこの制度の
 最後です。

2.草見
  現在と違って除草剤のなかった昔は、田んぼの草を人が田を這って手でむしり取っていまし
 た。随分と厳しい作業でしたが、この仕事を怠ると草茫々の田んぼとなって満足な稲の収穫が
 求められませんでした。そこで時期を見計らって地域の役員さん達は「草見」といって村中の田
 んぼの草の取れ具合を見て廻られました。農家の人達はこのためにも草を取り残しをして恥を
 かかないために頑張って草取りに励まれたようです。

   3.鎌止め
  バインダーやコンバインの普及しだしたのは、きわめて最近のことです。それまでは、一株一
 株と田んぼの稲は鎌で刈り取っていました。大変な仕事です。そのため農家では稲の収穫時
 期がくると我先にと稲の刈り取りに出て作業を急ぎました。ところが年によっては、未だ籾が十
 分熟していない年があります。でも一日でも早く収穫作業を終りたい一心から無理して刈ろうと
 される農家もあります。しかし、これは大変な米の減収につながります。このため当時の区長さ
 んや農事実行組合長さん(現在の改良組合長さん)の職権で「向こう3日間は鎌止め」との指示
 が出されて各農家はこれを守り合って刈り取りを遅らせたものです。

   4.検見
  昔の農家は、米の売上収入のみによって生計を支えていました。そのため、農家では、その
 年の稲の出来具合を窺う気持ちも真剣そのものでした。また、地域の役員さん達も田んぼの
 稲刈りに先がけて「検見」といって今年の籾の実り具合を調べたり、豊作、不作の原因を色々
 と検討しあったものです。他から収入の得られる現在からすればその真剣度は数倍も高か
 たようです。

   5.朝草廻り
  トラクターの普及するまでは、下山も牛耕のための牛を各農家で飼っておられました。純農
 家の下山でしたので、牛を飼育している農家も100%でした。その牛の餌として欠かせないも
 のに初夏から真夏にかけての若草です。初夏ともなると朝早くから牛の餌刈りで一日が始まり
 ます。自分の田の畦草だけでは足りないこともあります。場合によっては他地区の人が若草を
 求めてこの下山の地域にそっと刈り取りに来ることもありました。これを防ぐために当時の青年
 会では「朝草廻り」をして見張りを行なっていました。今から思えば想像もつかない話です。

  6.結い
  これは当地区だけでなく日本中で行なわれてきた制度であり、現在も残されているものもあり
 ます。農業では手間暇かかる労働作業がたくさんありますが、この労力をお互いに借りたり貸
 したりしあって一気に自家に作業の区切りをつけてしまうための目的で行なわれた方法です。
 例えば手で田植えをしていた時代にはこの「結い」の方法が多く使われていました。

  7.陰切り
  樹木の枝が境界をはみ出して隣地の農道や公道の通行の妨げになっていたり、うっそうとし
 て陰気な環境を呈する程繁茂していても、他人の枝である以上、誰しも除去しにくいものです。
 そこで、「陰切り」と言って青年会等で地域を巡回して、これらの障害物の取り払いに廻られまし
 た。団体で行なうこの種の作業行為は、常識的でもあり住民からも歓迎されるものでした。