600
850
851
901
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〃
1336
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1336
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〃
〃
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〃
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〜
1614
1594
1600
1602
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1618
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1875
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1889
1934
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1946
1955
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1989
1991
1992
1993
1994
1997
1998
2003
|
安康
雄略
奈良時代
仁寿年間
仁寿元年
延喜元
天歴3年
貞元元
寛徳2
永久2
寛長2
文治元
文治3
建保4
仁治3
文永8
正和11
元徳4
正慶2
建武元
〃
〃
〃
延元元
〃
〃
建武3
延元元
建武3
貞和元
貞和3
〃
貞和4
貞和5
延文2
〃
〃
〃
延文4
延文5
貞治3
〃
貞治5
応安7
〃
〃
至徳2
応永2
応永3
永享12
嘉吉元
文明年間
長享元
明応2年
永正11
享禄
天文年間
天文9年
弘治2年
永禄11
元亀年間
天正13
天正18
文禄4
慶長年間
文禄3
慶長5
慶長7
慶長13
元和4
寛永4
寛永2
寛永10
万治2
寛文元
宝暦3
天和2
天和3
元禄8
正徳2
正徳4
享保13
享保10
宝暦2年9月
宝暦3
天明年間
文化年間
文政7
弘化4
明治4
明治5
〃
明治8
明治18
明治22
昭和9
昭和18
昭和21
昭和30
昭和33
昭和35
昭和40
昭和45
昭和47
昭和48
昭和52
昭和58
昭和61
平成元
平成3
平成4
平成5
〃
平成6
平成9
〃
平成10
平成15
〃 |
安康天皇、昼輪王に殺される。
眉輪王及び葛城円大臣ならびに市野押盤皇子を殺し天皇に即
位する。この頃狭々貴山君、蒲生、神崎に住す。
狭々貴山君の同族山直氏、山直郷治める。
山村潮音寺創建するに当たりその守護神として山村神社勧請
山村潮音寺本尊十一面観音像は高野寺の西観法師
の御作である。
菅原道真大宰府に左遷される。道真の四男淳茂水口美濃部に
流寓され、山村観音寺の観音像に深く信仰される。
菅原道真の子孫是兼により山村神社社殿造営される。
僧良源元道大師、白山寺、木中寺草創。
柏木荘園造られる。
源義光、私領である山村郷(山村、伴中山、下山)
及び柏木郷
を園城寺金光院に寄進する。神宮領となり、柏木御厨新設する。
源頼朝鎌倉に幕府を設立。
佐々木定綱近江守護職となる。
土山の山中氏上山村友行名を領し、俊直は子俊信に下司職を
譲与する。山中俊直譲状案(山中文書)
山中俊信譲状案(山中文書)
山中有俊譲状案(山中文書)
山中氏俊譲状案(山中文書)
山中文書元徳3年目録に上山村郷に神田、天神反小、天王上、
寺田二階堂ニ丁五反の記あり。
政所代秋信避置状(山中文書)
山中道俊上山村観音寺別当職安堵する。(山中文書)
伴家連起請文(山中文書)
政所宛行状(山中文書)
政所宛行状案(山中文書)
伴助郷契約状(山中文書)
山中道俊請文案(山中文書)
柏木御厨、上山村友行名安堵状(同)
上山村地頭職領、家職宛行状案
神祇権大副下知状(同)
柏木御厨惣庄検断下知安堵状(同)
沙弥西念田地譲状(同)
上山村友行名田地相傳状(同)
山中頼俊所領所職安堵状(同)
山中道俊譲状(同)
上山村郷下司職半分補任状(同)
柏木御厨内上山村検断給安堵状案(同)
柏木御厨内上山村検断給重尊行状案(同)
柏木御厨内山村検断給重尊行状案(同)
上山村地頭職領、家職宛行状案
柏木御厨山村検断給安堵状(同)
六角氏頼下知状案(同)
山中道俊、為顕、氏義連署請文案(同)
山中道俊跡所領所職紛失状(同)
山中道俊譲状(同)
山中道俊井関重書紛失状(同)
山中浄俊所職所領譲状(同)
山中浄俊所領所職処分状(同)
山中浄俊譲状(同)
山中範俊譲状(同)
柏木御厨上山村郷下司職補任状(同)
山中善俊譲状(山中文書)
山中大和入道言上状、上山村観音堂修理の事(同)
堂山沽料足注文
西養寺創立、僧堯誉隆阿師
足利将軍義尚、佐々木六角氏追討の為鈎に出陣し
陣没する。長享の乱起こる。甲賀53家戦功あり。
上山新八郎、上山城に在り六角高頼に属し正徳2
年迄居住
時の禰宜多喜氏神託を受けて占石にて吉凶を占う事を請する。
第2次伊庭の乱の為観音寺城落城して杉本左京上山村西村に
来る。
上山城(築城時の瓦に年号銘入りあり)上山新八郎の子上山徳
三郎により改築
杉本左京、本願寺第10世證如上人に帰依して相休と名乗り西
村に1宇の小菴を創る。法念寺の始まり。
上山城主上山新八郎の家臣、田中伝八郎宗秀は、近江15勇
士の一人で、伊庭城において演武開催された12代将軍足利義
晴の時代に朝廷より太刀一振の褒美と従四位下、近江守を賜
る。
大原右近助永栄山村神社由緒の事を書きしるす。
上山城及び東善寺織田信長により焼失。
織田信長により白山寺及び白山権現社焼失、白山寺本尊城山
に移す。白山権現社東谷に移す。
中村式部小輔一氏初代岡山城主。
増田長盛二代目岡山城主。
長束大蔵大輔正家三代目岡山城主。
僧進誉師善勝寺開基。
法念寺火災により焼失。
徳川家康の家臣池田長吉により岡山城落城し、城主長束正家
日野中之郷にて自刃。正室栄子姫北脇にて病死。
林傳左衛門が治める。
松平隠岐守(伊勢の国桑名城主)が治める。
内藤紀井守が治める。
代官の支配となる。
水口城築城。郷の分割上村、下村とに分ける。
土井大炊頭(下野国古河城主)が治める。
宗門改め(戸籍改め)実施により檀家制度作る。
人別改め帳の作成。
代官吉川半兵衛支配。
加藤内蔵助明友(嘉明の孫、石見の国吉永城主ノ水口城初代
城として転封。1675、上村を堂村と分割。
玉台寺僧天海により開山、水口城家臣藪、菅、毛利、足立、金
子の各氏檀家になる。
鳥井明英二代目水口城主になり加藤氏下野国壬生城主となる。
加藤氏再度水口城主となる。加藤和泉守嘉矩水口城主。
加藤氏水口城に転封により、城主山村信濃守の上山城廃滅す。
本願寺より法念寺の寺号下付される。
慈幸寺中興の僧良哲師再建する。
水口宿助郷請書に上村、堂村、下村の各庄屋記載される。
法念寺本堂再建の棟札。
法念寺庫裡再建。
山村神社宮守と観音寺別当との争いにより、別当が負け重要
書類等持出す。
善勝寺焼失。
善勝寺再建。
法念寺鐘堂及び釣鐘建築。
水口藩廃藩となり大津県管轄となる。
滋賀県となる。
区制施行により第2区となる。
上村、堂村、下村を合併して山村となる。
戸長役場を春日に定める。
町村制施行により伴谷村となる。村役場を伴中山に置く
山村神社社務所新築される。山・松尾線(旧道)新設工事。
神社及び寺(各区民)の銅鉄製品が戦争の為供出される
山村神社釣鐘帰ってくる。
町村合併により水口町となる。
旧公民館新築
泉・日野線現ルート基礎1車線工事完成
上水道設置。
山・名坂線拡幅工事。水口町第1次工業団地造成。
昭和45年〜昭和49年に東宝ランドにより第1水口台から第5
水口台まで宅地の造成される。小野谷で14ヘクタールの田を
県単独事業にて圃場整備事業実施
法念寺釣鐘再鋳。
山集会所現在地に新築。
山村神社由緒書伴中山三十八社の古文書箱より発見される。
山全域を県営事業としてほ場整備と合せて県道各線の改修工
事始まる。
泉・日野線歩道、農作業側道取付け及び拡幅工事
法念寺庫裡再建。
山・松尾線拡幅工事
山村神社帳屋再建。
水口町第3次工業団地造成。
市道山・大平3号線新設工事。
県営ほ場整備事業完成。
泉・日野線「城之橋」北及び南、西村地先住居移転、直線化
と拡張整備
公益下水道事業始まる。
伴谷東小学校開校
地縁団体山区法人化
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