山区の歴史・教育年表 

 山区の歴史年表

西暦

年号

事            項




600
850 
851

901

947
976
1045 
1114
1164
1185 
1187 
1216 

1242
1271
1322
1332
 
1333 
1334 



1336


1336 

 〃
1345
1347

1348
1349 
1357




1359
1360 
1364 

1366
1374
 〃

1385
1395 
1396 
1440 
1441
1469
1487 



1493
1514

1531

1532 

1540 


1556 
1568
 1570 

1585 
1590
1595 
1596 
〜 
1614
1594 
1600

1602 
1608 
1618 
1627 
1624 
1633
1659 
1669 
1675 
1682 

1683 

1695
1712

1714 
1728
1725 
1752 
1753 
1753 

1804 
1824 
1847 
1871 
1872 

1875 
1885 
1889 
1934 
1943 
1946
1955
1958 
1960 
1965 
1970 

1972

1973 
1977 
1983 
1986 
1989 
1991
1992 
1993 

1994
1997


1998 
2003 

安康
雄略

奈良時代
仁寿年間
仁寿元年

延喜元

天歴3年
貞元元
寛徳2 
永久2 
寛長2 
文治元
文治3
建保4 

仁治3
文永8
正和11
元徳4 

正慶2 
建武元



延元元


建武3
延元元
建武3 
貞和元
貞和3

貞和4 
貞和5 
延文2 




延文4 
延文5 
貞治3 

貞治5 
応安7



至徳2 
応永2 
応永3 
永享12 
嘉吉元
文明年間
長享元



明応2年
永正11

享禄

天文年間

天文9年


弘治2年
永禄11 
元亀年間

天正13 
天正18 
文禄4
慶長年間


文禄3
 慶長5 

慶長7 
慶長13
元和4 
寛永4 
寛永2 
寛永10 
万治2 
寛文元
宝暦3 
天和2 

天和3 

元禄8 
正徳2

正徳4 
享保13
享保10 
宝暦2年9月
宝暦3
天明年間

文化年間
文政7 
弘化4 
明治4
明治5 

明治8 
明治18 
明治22 
昭和9 
昭和18 
昭和21
昭和30 
昭和33 
昭和35 
昭和40 
昭和45 

 昭和47 

昭和48
昭和52 
昭和58
昭和61 
平成元
平成3 
平成4 
平成5 

平成6
平成9 


平成10 
平成15

安康天皇、昼輪王に殺される。
眉輪王及び葛城円大臣ならびに市野押盤皇子を殺し天皇に即
位する。この頃狭々貴山君、蒲生、神崎に住す。
狭々貴山君の同族山直氏、山直郷治める。
山村潮音寺創建するに当たりその守護神として山村神社勧請
山村潮音寺本尊十一面観音像は高野寺の西観法師
の御作である。
菅原道真大宰府に左遷される。道真の四男淳茂水口美濃部に
流寓され、山村観音寺の観音像に深く信仰される。
菅原道真の子孫是兼により山村神社社殿造営される。
僧良源元道大師、白山寺、木中寺草創。
柏木荘園造られる。
源義光、私領である山村郷(山村、伴中山、下山) 及び柏木郷
を園城寺金光院に寄進する。神宮領となり、柏木御厨新設する。
源頼朝鎌倉に幕府を設立。
佐々木定綱近江守護職となる。
土山の山中氏上山村友行名を領し、俊直は子俊信に下司職を
譲与する。山中俊直譲状案(山中文書) 
山中俊信譲状案(山中文書) 
山中有俊譲状案(山中文書) 
山中氏俊譲状案(山中文書)
山中文書元徳3年目録に上山村郷に神田、天神反小、天王上、
寺田二階堂ニ丁五反の記あり。
政所代秋信避置状(山中文書)
山中道俊上山村観音寺別当職安堵する。(山中文書)
伴家連起請文(山中文書) 
政所宛行状(山中文書)
政所宛行状案(山中文書) 
伴助郷契約状(山中文書) 
山中道俊請文案(山中文書) 
柏木御厨、上山村友行名安堵状(同)
上山村地頭職領、家職宛行状案
神祇権大副下知状(同) 
柏木御厨惣庄検断下知安堵状(同)
沙弥西念田地譲状(同)
上山村友行名田地相傳状(同)
山中頼俊所領所職安堵状(同) 
山中道俊譲状(同) 
上山村郷下司職半分補任状(同) 
柏木御厨内上山村検断給安堵状案(同) 
柏木御厨内上山村検断給重尊行状案(同) 
柏木御厨内山村検断給重尊行状案(同)
上山村地頭職領、家職宛行状案
柏木御厨山村検断給安堵状(同)
六角氏頼下知状案(同) 
山中道俊、為顕、氏義連署請文案(同) 
山中道俊跡所領所職紛失状(同)
山中道俊譲状(同)
山中道俊井関重書紛失状(同)
山中浄俊所職所領譲状(同)
山中浄俊所領所職処分状(同) 
山中浄俊譲状(同)
山中範俊譲状(同)
柏木御厨上山村郷下司職補任状(同) 
山中善俊譲状(山中文書) 
山中大和入道言上状、上山村観音堂修理の事(同)
堂山沽料足注文
西養寺創立、僧堯誉隆阿師
足利将軍義尚、佐々木六角氏追討の為鈎に出陣し
陣没する。長享の乱起こる。甲賀53家戦功あり。
上山新八郎、上山城に在り六角高頼に属し正徳2 年迄居住
時の禰宜多喜氏神託を受けて占石にて吉凶を占う事を請する。
第2次伊庭の乱の為観音寺城落城して杉本左京上山村西村に
来る。
上山城(築城時の瓦に年号銘入りあり)上山新八郎の子上山徳
三郎により改築
杉本左京、本願寺第10世證如上人に帰依して相休と名乗り西
村に1宇の小菴を創る。法念寺の始まり。
上山城主上山新八郎の家臣、田中伝八郎宗秀は、近江15勇
士の一人で、伊庭城において演武開催された12代将軍足利義
晴の時代に朝廷より太刀一振の褒美と従四位下、近江守を賜
る。
大原右近助永栄山村神社由緒の事を書きしるす。
上山城及び東善寺織田信長により焼失。
織田信長により白山寺及び白山権現社焼失、白山寺本尊城山
に移す。白山権現社東谷に移す。
中村式部小輔一氏初代岡山城主。
増田長盛二代目岡山城主。
長束大蔵大輔正家三代目岡山城主。
僧進誉師善勝寺開基。


法念寺火災により焼失。
徳川家康の家臣池田長吉により岡山城落城し、城主長束正家
日野中之郷にて自刃。正室栄子姫北脇にて病死。
林傳左衛門が治める。
松平隠岐守(伊勢の国桑名城主)が治める。
内藤紀井守が治める。
代官の支配となる。
水口城築城。郷の分割上村、下村とに分ける。
土井大炊頭(下野国古河城主)が治める。
宗門改め(戸籍改め)実施により檀家制度作る。
人別改め帳の作成。
代官吉川半兵衛支配。
加藤内蔵助明友(嘉明の孫、石見の国吉永城主ノ水口城初代
城として転封。1675、上村を堂村と分割。
玉台寺僧天海により開山、水口城家臣藪、菅、毛利、足立、金
子の各氏檀家になる。
鳥井明英二代目水口城主になり加藤氏下野国壬生城主となる。
加藤氏再度水口城主となる。加藤和泉守嘉矩水口城主。
加藤氏水口城に転封により、城主山村信濃守の上山城廃滅す。
本願寺より法念寺の寺号下付される。
慈幸寺中興の僧良哲師再建する。
水口宿助郷請書に上村、堂村、下村の各庄屋記載される。
法念寺本堂再建の棟札。
法念寺庫裡再建。
山村神社宮守と観音寺別当との争いにより、別当が負け重要
書類等持出す。
善勝寺焼失。
善勝寺再建。
法念寺鐘堂及び釣鐘建築。
水口藩廃藩となり大津県管轄となる。
滋賀県となる。
区制施行により第2区となる。
上村、堂村、下村を合併して山村となる。
戸長役場を春日に定める。
町村制施行により伴谷村となる。村役場を伴中山に置く
山村神社社務所新築される。山・松尾線(旧道)新設工事。
神社及び寺(各区民)の銅鉄製品が戦争の為供出される
山村神社釣鐘帰ってくる。
 町村合併により水口町となる。
旧公民館新築
泉・日野線現ルート基礎1車線工事完成
上水道設置。
山・名坂線拡幅工事。水口町第1次工業団地造成。
昭和45年〜昭和49年に東宝ランドにより第1水口台から第5 
水口台まで宅地の造成される。小野谷で14ヘクタールの田を
県単独事業にて圃場整備事業実施
法念寺釣鐘再鋳。
山集会所現在地に新築。
山村神社由緒書伴中山三十八社の古文書箱より発見される。
山全域を県営事業としてほ場整備と合せて県道各線の改修工
事始まる。
泉・日野線歩道、農作業側道取付け及び拡幅工事
法念寺庫裡再建。
山・松尾線拡幅工事
山村神社帳屋再建。
水口町第3次工業団地造成。
市道山・大平3号線新設工事。
県営ほ場整備事業完成。
泉・日野線「城之橋」北及び南、西村地先住居移転、直線化
と拡張整備
公益下水道事業始まる。
 伴谷東小学校開校
地縁団体山区法人化

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西暦

年号

事              項

1749
1852
1854

1886 


1888 
1890 

1892 

1901

1904 

1906 
1908 
1912 

1913 

1916 
1922 
1925 
1926 
1928 
1935 
1938 
1941

1944 

1945
1947 

1948 


1949 
1950
1954
1962
1938 
1967 

1968 
1974 
1978 
1980 
1981
1991 
1992
1994
2003 
2004 

寛延2 
明治5
明治7 

明治19 


明治21 
明治23 

明治25 

明治34 

明治37 

明治39 
明治41 
明治45 

大正2 

大正5 
大正11 
大正14 
大正15
昭和3 
昭和10 
昭和13 
昭和16 

昭和19 

昭和20 
昭和22 

昭和23


昭和24 
昭和25
昭和29
昭和37 
昭和38 
昭和42 

昭和43 
昭和49 
昭和53 
昭和55
昭和56 
平成3 
平成4
平成6 
平成15 
平成16 

各所に学校の前身、寺子屋創業
学制の発布
八田・春日敬心学校開校下山・伴中山余力学校開校
山・松尾行文学校開校
小学校令により尋常科4年・高等科4年となる。
水口地区連合して高等科甲賀小学校創立、小学科は春日尋
常小学校として春日に置く。
春日尋常小学校を伴谿尋常小学校と改称。町村制公布による。
小学校令改正により中山尋常小学校、春日尋常小学校、上山
尋常小学校の三校に決定
町村立小学校授業科を定められ伴谷村立上山尋常小学校とな
る。
村立尋常小学校3校を廃し中山尋常小学校を伴谷小学校の本
校とし、春日及び上山に分教場を置く。
伴谷村の中心となる現在の小学校の位置に新校舎の新築に着
手する。竣工と同時に分教所は廃止さる。
伴谷小学校に裁縫学校を付設する。
水口高等小学校分教場を廃す。
伴谷尋常小学校を6年制とした為に付設の裁縫学校を独立して
伴谷裁縫学校とする。校章・校旗、制定。
伴谷小学校に高等科2年を併設、伴谷尋常高等
小学校となる。
伴谷尋常高等小学校々舎及び裁縫室新設。
滋賀県青年団初団式
伴谷尋常小学校運動場拡張
青年訓練所を小学校に併設さる。
伴谷小学校講堂、家事室、宿直室、新築
青年学校令施行、細則出る。青年学校開校
青年学校義務制になる。
太平洋戦争起こる。国民学校令出る。初等科6・12月年・高等
科2年。伴谷国民学校と改称
「決戦非常措置要綱及び軍事教育全面強化方策」発表、学童
集団疎開令公布。
8月終戦(敗戦)総指令部より修身、歴史、地理教育廃止指令。
教育基本法出る。学校教育法6・3・3制。小学6年、中学3年
義務教育、高校3年
伴谷村、大野村、水口町、柏木村組合立水口中学校を設置に
伴い、水口中学校伴谷校舎を伴谷小学校に併設教育環境整備
の目的の為、PTA 誕生。7月検定教科書令交付
組合立水口中学校々舎を設立して伴谷校舎は廃止さる。
校長公舎の建設
南校舎の改築
本館改築
本館竣工
伴谷小学校の火災発生により講堂、保健室、図工室、教員室、
第一・第二家庭室、給食室、小使室焼失
火災復旧工事、体育館、用務員室
伴谷小学校開校100年を迎える。
新校舎建築
運動場拡張工事
新校舎増築工事
体育館竣工
新校舎改築
創立120周年
伴谷小学校を東小学校とに分離
創立130周年

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