山区教育の移り変わり 

  (1) 学校教育の変遷
   @ 江戸時代の中期の寛延2年(西暦1,749年)頃、各所に学校の前身である寺小屋が創業さ
       れた。また、山集落では、善勝寺を始め各寺で明治7年まで続いた。
   A 明治7年(1,854年)7月水口碧水城の一棟を買い受け、山、松尾を連合して行文学校を設
       立し小学校制度が始まった。明治14年(1,861年)松尾村は、水口学区に編入の為、行文  
       学校より 分離された。
   B 明治19年(1,886年)4月小学校令により尋常科4年、高等科4年となり、小学科は春日尋
       常小学校として春日に置かれた。
   C 明治21年(1,888年)4月、町村制公布により、春日尋常小学校を伴谿尋常小学校と改称。
   D 明治22年(1,889年)伴谿尋常小学校の本校を伴中山に置く。
       山村に伴谿尋常小学校の分校が置かれた。
   E 明治23年(1,890年)小学校令改正
      中山尋常小学校(伴中山)、春日尋常小学校(春日)、 
      上山尋常小学校(山)の3校に決定。
   F 明治25年(1,892年)町村立小学校授業科を定める。
       伴谷村立中山尋常小学校、伴谷村立春日尋常小学校、
       伴谷村立上山尋常小学校
   G 明治34年(1,901年)伴谷村立尋常小学校3校を廃し、伴中山(中山尋常小学校)を伴谷
       小学校の本校として春日、上山に分教 場が置かれた。
   H 明治37年(1,904年)2月16日、伴谷村の中心に学校を置くため、八田、下山、山からの
       距離を測量して現在の小学校の位置 となる伴中山字彼岸田に設定され、用地買収及び校
       舎の新築に着手され、竣工と同時に春日、上山の分教場は廃止された。
   I 明治39年(1,906年)伴谷小学校に裁縫学校が付設された。 
   J 明治45年(1,912年)伴谷尋常小学校を6年生とする。付設の裁縫学校を独立して伴谷裁
       縫学校とする。校章・校旗が制定さる。
   K 大正2年(1,913年)4月伴谷小学校に高等科2年を併設する。伴谷尋常高等小学校となる。
   L 大正15年(1,926年) 青年訓練所を小学校に併設する。
   M 昭和10年(1,935年)青年学校令施行、細則出る。青年学校が開校された。

  (2) 戦後の学校教育
   @ 昭和23年(1,948年)9月16日、大野村、水口町、柏木村、伴谷村で、組合立水口中学校
       を設置。水口中学校伴谷校舎を伴谷小学校に併設。昭和24年(1,949年)組合立水口中
       学校を設立して伴谷校舎は廃止される。
   A 平成15年(2,003年)伴谷東小学校の分離。
       伴谷小学校の学区内は、昭和45年頃より各所に宅地造成が行われ、10年余りで児童数
       も3倍ほどの900人余りになった。
       平成12年頃から小学校の分離の話が進められ、山区字東谷に場所が決まり、新校舎が
       建築され、平成15年4月開校となった。
       桜ヶ丘と第4水口台の2地区の300名程の児童が通学している。

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