位置・区域・土質及び地形

    当地は滋賀県の南部に位置する甲賀市の北部の水口町に属しその北部にある。
   東は甲賀市水口町松尾及び蒲生郡日野町中山に接し、北は東近江市鈴及び甲賀市水口町
   春日に接する。
   西は甲賀市水口町伴中山に接し 、南は甲賀市水口町名坂に接する。東西の距離2,509m、
   南北4,254mで丘陵に囲まれた地域である。土質は全般に重粘土質で一部では白土が出
   土しており、地形は、東方より西方に、また北方より南方に傾斜している。
   山区の名称は、甲賀53家の内の1家、「上山新八郎」が、山字上ノ山の上山城主で、現在の
   「山」の字名の由来となった。
     小字郷の分割は、寛永元年(1,624年)上村と下村に分割。更に延宝3年(1,675年)

   上村を堂村と上村に分割して、三
   郷によって行政がされ、それぞれ
   の郷に庄屋が置かれていたことが
   享保12年(1,727年)水口宿助
   郷請書に記載されている。明治8
   年7月18日合併して山村と改称
   され、さらに大字山に改称され、
   現在に至る。
   今も甲組、乙組、丙組としてその
   組織が残っていて、行政が行わ
   れ各大組総代が置かれている。

                            「明治6年12月作成の地番取調繪図」

上村・堂村 

田引・西村

                       (注) 地番について、現在は、上村から西村に付番されているが、
                          「明治6年12月作成の地番取調繪図」当時は、西村から上村
                          へ、思い川の下流から上流へ付番されていた。
 

    (1) 山区の戸数
             昭和初期                 現在の戸数             昭和初期                 現在の戸数
            上村39戸                上村41戸               堂村29戸                 堂村30戸
            田引30                    田引27戸              西村23戸                 西村20戸
                                                                        計121戸                  計118戸
   (2) 山区の小字名及び呼名

小   字

地 名 及 び 呼 び 名

廻り田

廻り田、行心坊

高ソネ

高ソネ、遠ノ口、大野

小松尾

小松尾、中小松尾、脇ノ谷、トコロ

吉平

吉平、荻田、今頃林

白山

白山、荻田、風呂ヶ谷

畔八丁

畔八丁、権現、荒池、菅口

東谷

東谷、浅ヶ谷、狐塚、山畑、北垣内

南前

南前、小秋、天王前、上ノ垣内

勘定ヶ谷

勘定ヶ谷、城ヶ峰

南谷

南谷、中ノ島

長谷

長谷、中ノ島、浅井山

向山

向山、山ノ神

上ノ山

上ノ山、上村、東傳寺、宝台寺、天道寺

菖蒲谷

菖蒲谷、猪狸狐谷、大谷

竹ノ鼻

竹ノ鼻

松葉沢

松葉沢、椎木谷、半田、野神

千丁

千丁、堂村、前畑、堂山

百々谷

百々谷、向山、鮒塚

岩谷

岩谷

向出

向出、阿弥陀坊

菅谷

菅谷、中菅谷、脇谷、山王坂、建石、十禅師

西村

西村

大平

大平

田引

田引、姫の口

柳谷

柳谷、畑ヶ谷、清水谷、地下谷、大坂

栗ノ木谷

栗ノ木谷、金右衛門谷、焼谷、寺場、千代坊

北小野

北小野、開田、芳ヶ谷、赤禿、行事谷

栂畑

栂畑、治郎平屋敷、代田

北谷

北谷、奥谷、岩谷、谷出

峰道

峰道、中切

前ノ谷

前ノ谷、広畑

西谷

西谷、出進坊

   (3) 墓地、寺坊等に関る地名
     @ 字向出の住宅の東南に「阿弥陀坊」という地名がある。この地はもと西村の墓地であった。
    近隣の今村家が管理している石仏が25体、西本家が管理している石仏が25体ある。
     A 西村家の前に「ショウライ山」という地名がある。山の中腹に石仏18体、墓2基があり、地
         中には骨壺が埋まっているなお。 、「ショウライ山」は、山・松尾線道路新設工事のた現在 
         はない。
     B 字谷出の奥に「マカゴ参り」という地名がある。以上@〜Bの3ヶ所は、田引・西村の墓地
         がが伴中平尾墓地に移転するまでの墓地であった。
     C 字西谷の口に「出進坊」という地名がある。城跡か?土塁の一部が残っているが現在は工 
         業団地開発により山の神が祭ってある。また、本丸の東土塁切れ目に大手門跡があり、
         前を山家敷といい段々畑、コンコンと清水が湧く井戸跡、山区で一番早く植えられた茶園
         (茶の木の大木)等があった。この 「出進坊」は、圃場整備、工業団地等で現在はない。
     D 字菅谷に「建石」という地名がある。昭和天皇御大典記念に松を植樹。この内の2本を思
         い川河川改修記念に山集会横に移植した。
     E 字栗ノ木谷千代坊池の下(今は桜ケ丘団地になっている) に「寺場」という地名がある。
     F 字上ノ山に「天道寺」、「宝台寺」という地名がある。 
   (4) 宅地・工業団地等開発により消滅した地名
        坂口、ビヤガキ、杉の木、山王山、山王坂、建石、奥菅谷、ドコ谷、石臼山、横道、脇谷、
        カヤの木谷、オチコシ、トビッコ、出進坊

上  村

堂  村

田  引

西  村

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