12.神  社

  (1)春日神社
  
@祭神   應神天皇(第15代天皇
      
合祀   天児屋根命、玉依姫命、素盞
           
    嗚尊
      社殿   三間社流造檜皮・銅板葺
                間口十三尺 奥行十二尺八寸

   
               (県道164号から神社を望む)
 
         (二の鳥居から正面に拝殿を望む)
   
              (拝殿の右横から本社殿を望む)

     A由緒
     春日神社の由緒は、当神社の一の鳥居右横に昭和51年(1976)
度に初老を迎えら
     れた昭和11年(1936)生まれの8名の方々により石碑を建立、参詣
された方々に分
     かりやすく、下記の「春日神社由緒」のとおり案内されています。
   ≪ 春日神社 由緒 ≫ 

     祭神 応神天皇
     合祀 天児屋根命、玉依姫命、素盞嗚尊
     春日の郷は元はと称せしが明治7年10月
     に改称す 柏木荘の一にして伴郷に属す、こ
     の畑村は至徳4年(1387)3月の文書に見ゆ 
     祭神応神天皇保元2年8月(1157)今の現地
     の社に勧請し八幡宮合祀せる天児屋根命
     玉依姫命は延久4年(1072)4月現今春日字
   宮谷へ永享4年(1432)3月に勧請しその内
   玉依姫命は天文22年

 
                   由緒書きの石碑(右)

     (1553)9月に田首に移して此れを東西山王と称した 素盞嗚尊は天禄元年(970)6月天
      王前に祇園午頭天王と称し明治5年社名を改めて藤本神社日枝神社八坂神社とも呼んだ 
      翌年の明治6年1月許可を得て合祀社を現在の地に還す、明治8年9月社名を改めて春日
      神社と称す、以来奈良春日大社と交流を厚くし現今に至る、此の地は
永保3年以来伴氏世
      々之を領し天正13年7月中村式部少輔一氏水口岡山城主となるに及び相次ぎ幾多の城主
      の変動を視た 正徳2年に至り城主加藤和泉守の提封となり以来世々相襲ぎ明治2年水口
      藩知事の所轄となり此の春日神社も明治9年に村社に列した 昭和10年に社務所が新築
      された 例大祭は毎年5月1日斎行され明治41年神饌幣帛料供進の神社に指定せられ毎
      月1日、16日、祭典が斎行されている。
    B小宮さん
     
本社殿前に愛宕神社、皇太神社、多度神社の小宮さんのお社があり、毎年度代参者をお
      みくじで抽選し、それぞれのお札さんをいただきお祀りしています。

   C春日正天狗尊
 
     神社の上の山に天狗堂があり、寛永年間より正天狗
      尊をお祀りしています。天狗堂は昭和10年(1935)ま
      で下の境内に祀られていましたが、翌年の本開帳を迎
      えるに合わせ同年に現在地の上の山に改築移設され
      ました。また、同年(昭和10年)には社務所も改築され
      翌年の本開帳時には天狗堂の改築と併せ、稚児行列
      や餅まきのお祝い行事が行われたとのことです。
       その後、天狗堂は下の境内まで54段の石段の新設置
      と鳥居・石灯篭の寄進をいただき(右上の写真)、更に
      立派となりお守りしています。
        なお、正天狗尊は、第二次世界大戦(太平洋戦争:1
      945終戦)までは、春日から出征された兵士さんの無
      事をお祈り、そのご利益があって殆どの方々が元気で
      帰っててこられたとの事で、このことが各地に伝わり各
      方面から大勢の方々が無事の帰還のお祈りのためお
      詣りされたと聞き及んでいます。
        ところが、あの悲惨な太平洋戦争(第二次世界大戦)
      では、当区の方々に多数の方々の犠牲者が出たこ
      とと、以後は戦争もなくなり、社会情勢の変化等のため
      現在では戦時中のようなお参りの方々が来られないの

    
      居の奥54段の石段を上った
     
所が天狗堂。左は地蔵堂)


                   (天狗堂)

      が残念です。
        それだけ日本は平和な国になったと喜ぶべきでしょうか?いつまでも平和な世の中が続く
      ように心から願いたいものです。
       ※天狗は、日本の伝説上の生き物。一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があ
          り空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ、外法様ともいう。元来は
 
          中国の物怪で、流星または彗星の尾の流れる様子が狗に似ていることから、天の狗
           すなわち天狗と呼ばれた、とある。

    D地蔵堂

       拝殿下の境内に地蔵堂があり、内には本尊延命
     地蔵菩薩、大日如来、薬師如来、聖観世音菩薩等
     が安置されています。
       特に大日如来(木造大日如来座像)は、平安後
     期の造像と考えられ、檜材一木造、内刳り、彩色の
     彫眼像で結跏跌座し、法界定印を結ぶ胎蔵界の
     大日如来座像で、平成3年8月に水口町(甲賀市)
     重要文化財に指定されています。なお、昭和63年
     (1988)には仏像のくん蒸修理処理が、また平成
     20年(2008)には、地蔵菩薩の左足や台座等の
     修理が行われています。)前述の春日正天狗尊と
     地蔵堂は50年ごとに開帳(本開帳)が行われてお
     り、またその中間年(25年ごと)には中開帳が催行
     されています。(従って、地蔵堂内の大日如来、薬
     師如来、地蔵菩薩、聖観世音菩薩等は
5年ごと
     しか拝見できない秘仏です。)
      近々では昭和61年(1986)3月に本開帳が行わ
     れ、平成23年には中開帳が行われる予定です。
     昭和61年(1986)の本開帳では、早くから数か所
     にのぼり・吹き流しを立て、当日は稚児のお練りが
     お寺(渓蓮寺)から神社まであり、山伏による護摩
     供養やお餅まきが行われ、各戸では親戚等を招待


    (地蔵堂、19年3月瓦葺替え直後)


 (本尊延命地蔵菩薩)
(平成20年12月の台座等の修理直後)

     し御馳走でもてなし、神社境内は大勢の人々のお
     参りで一杯となり、大賑わいでした。
     

  (参考)
 
    当神社には地蔵堂のみがあった当時から、地蔵
     堂の諸仏への信仰について区民はもとより、他所
     の方々からも信仰されていたとの記録があります

     天正8年(1580)4月9日には下山の某氏から田
     地が寄進された古文書が残っています。


(木造大日如来座像:市の重要文化財)


(下山の某氏から田地寄進の古文書、右のとおり)

   E縁起(えほどき)
      前述のとおり正天狗尊と地蔵堂の仏様は
    50年ごとに本開帳が、25年ごとに中開帳
    が行われています。この開帳時には、男子
    の中学生と小学生の高学年生が、天狗堂
    や地蔵堂に安置されている秘仏の縁起を
    お参りされた方々に披露しています。
   


         ここで、縁起を次のとおり記載します。


    えほどきを担当した当時の中学生達(後ろに仏様)
               
昭和36年(1941年)

正天狗尊体縁起

  抑々ここに安置し奉る正天狗の尊体は、今を去ること三百八十有余年前寛永
  の頃、此の森大いに振動し、近辺を馬乗にて通行する者は怱ち落馬し、忌腹の
  者に崇りを受け、その他怪しき事夥多なり。村民驚き恐れずと言ふことなし。茲
  に於いて村老は集り、本尊地蔵菩薩に伺い奉りしに、其のお告げによれば、「愛
  宕権現と同体なれば定めて其の巻属太郎坊正天狗の所為なるべし」とのたまう。
  依って此の尊像を安置し、村民の守護神とし奉る。不思議なるかな怪しき事は
  止み、五穀成就の威徳を顕わし給う。依って後世此の森を天狗の森と称す。誠
  に霊験あらたかなる御尊体なれば何れも謹みて御拝あられましょ。

                忌腹=近親が死去した場合、一定の期間喪に服すること。夥多=おびただしいこと

地蔵菩薩縁起

  抑々御厨子の内に安置し奉る延命地蔵菩薩は、慈覚大師の御作なり。昔は伝
  教大師の開基にして唐土の天台山を移されたもう霊地なりと伝う。人皇九十七
  代元応年間は佐々木氏の御祈祷所にして、寺坊多くありといへども元亀二年
 
(1571)織田信長公の兵火に罹り、堂宇悉く烏有に帰す。

  然るに不思議なるかな御尊体は恙なし。依って後に此の堂に納め奉る。夫れ地
  蔵菩薩は六道の衆生を安養の浄土に導き給う御誓願なれば何れも謹んで拝礼
  あられましょ。

            唐土=昔、中国を呼んだ称。もろこし。から。

大日如来縁起

  抑々ここに安置し奉る大日如来は慈覚大師一刀三礼の御作にして、天正年間
  は水口岡山の城主長束大蔵卿の御菩提所天台宗竹林寺の本尊なり。然るに
  人皇百七代慶長五年当国沢山(佐和山)の城主石田三成卿濃州関ヶ原にて敗
  陣の砌同志の長束卿なれば遂に日野谷辺りにて切腹したまう。故に堂舎悉く破
  壊に遭うと言えども不思議なるかな御尊体につつがなし、依って後
御堂に安置
  し奉る。結縁の人には疫病を除き、現当二世の安楽を与え給う御誓願なれば
  何れも謹んで御拝なされま
しょ。

 

薬師如来縁起

  抑々ここに安置し奉る薬師如来は天正年間当時高塚山に毎夜一道の光明現る。
  村民不思議の思ひをなして此の堂の本尊地蔵菩薩に参籠祈願すること七日七
  夜をなす。然るに不思議なるかな。「我が鳳来寺の薬師一体の分身なり。我を掘
  り出し勧請すれば村民を守護すべし」との霊夢あり、依って直ちに之を掘り出し
  此の堂に納め奉る。誠に霊視新たにして悪病を除き、遠き耳をいやし給う御誓
  願なれば何れも謹んで御拝あられましょ。

 

  聖観世音菩薩縁起

  抑々此所に安置し奉る聖観世音菩薩は辱けなくも人皇三十二代聖徳太子八才
  の時御父用明天皇の勅命を蒙り、仏法弘通のために彫刻し給う尊像なりと伝う。
  昔は大和の国斑鳩の里にましまししを、当時の龍海和尚諸国巡拝の砌、仏勅を
  蒙り、負仏と成らせ給い、帰村の後は此の堂に納め奉る。夫れ観世音菩薩は現
  世には、福寿を授け、未来は淨刹に導き給う御誓願なれば、何れも謹んで御拝
  なられましょ。

  

    F百八灯堂と鬼子母神堂
       春日神社境内に百八灯堂と鬼子母神堂がありま
     す。両堂とも昭和61年(1986)の本開帳時に、
     進をいただき改築したものです。
       百八灯堂では、毎年8月24日に地蔵盆会と百八
     灯会が行われ、乙名の方々や子どもを含む一般
     の方々がお参りしています。


     (左が百八灯堂、右が鬼子母神堂)

   G子ども神輿
     昭和57年(1982)1月に、当時の初老該当者有
    志28名(昭和16年(1941)生まれ8名、昭和17
    年(1942)生まれ8名、昭和18年(1943)生まれ
    6名、昭和19年(1944)生まれ6名)の方々により
    子ども神輿・神輿蔵の寄進をしていただきました。
    その後、毎年、子どもたちによるお神輿巡行を、氏
    子青年・組頭・女性部等の応援のもと、区役員・氏
    子総代・乙名の方々共々で、東回り・西回りを1年
    交互で行っています。


                  (右が神輿蔵)

      なお、むかし(年代不明)には神輿が2基あったとの言い伝えがあり、或る時期双方の神輿
     同士がけんかしたので竹ノ下辺りに、また本社殿の裏山の遥拝所辺りに、さらに宮ヶ谷辺り
     にも埋められているとの言い伝えがありますが、真偽のほどは不確かです。

   Hお旅所
     昭和57年(1982)1月に、初老該当者有志28名に
    よりお神輿及び神輿蔵の寄進をいただいたことに伴い
    お旅所が神社下に新設されました。
      お旅所は、道路側に桜の木を植樹、そして「春日神
    社お旅所」の石柱を設置、さらに平成8年(1996)2月
    に石灯篭2基、平成13年(2001)1月に鳥居・石段・
    石垣の設置(寄進)を受け、立派なお旅所として整備さ
    れて来ました。


                     (お旅所)

  (2)春日神社の祭典・式典
    
平成20年(2008)における年間の春日神社祭典日を表にしました。これらの祭典日のうち、
     大・中祭は川島宮司により、また月次祭等や地蔵講は宮守または渓蓮寺住職で式典・法要が
     行われています。なお、3月24日の天狗尊お守り祈願祭と4月24日の天狗祭は、乙名の中
     の代表の方が祭典を斎行されています。
        春日神社 年間祭典・式典表】(平成20年(2008))

年月日

曜日

祭典の内容

備 考

20年1月1日

(祭)

元旦祭

1年の幕開けに、氏子や崇敬者の平安を祈念すると共に1年のお祝いを行う祭典。

1月6日

神縄吊り

神主振舞

神社の参道の両脇の杉の樹に神縄(勧請縄)と呼んでいる大綱を掛け替えて、五穀豊穣・村中安全をお祈りする祭典。

1月16日

月次祭

地域や氏子・崇敬者の繁栄と平安(平穏・健康・安全等)を祈願する祭典。

1月24日

地蔵講、村人入り、 おこない

近年、1年に1回行われる「村人入り」・「おこない」も催行される。

2月1日

月次祭、神主振舞

 

2月10日

祈年祭

全ての農作物をはじめ、諸産業全般の隆昌と氏子崇敬者の繁栄幸福を祈願する祭典。 (三大祭典の1つで新嘗祭と相対する祭典)

2月10日

厄年祈願祭

厄年の方々の災難や厄を神事により祓い清める祭典。

2月16日

月次祭

 

2月24日

地蔵講

 

3月1日

月次祭 乙名入り

半年ごとの「乙名入り」も催行される。

3月16日

初日待祭

巫女さんにより4つの釜の御湯をあげ、五穀豊穣・家内安全・交通安全・学業向上・商売繁盛・開運厄除・長寿祈願等を祈願する祭典。

3月24日

地蔵講

 

3月24日

天狗尊お守り祈願祭

 

4月6日

神武祭

神武天皇(日本書紀古事記に書かれている伝説上(定説)の人物、初代の天皇)崩御の日(4月3日)にちなみ、その近い日に記念した祭典。戦前は神武天皇祭といって国の祭日になっていた。

4月16日

月次祭

 

4月24日

地蔵講

 

天狗祭

 

5月5日

(祭)

春祭り

区と氏子総代共催による例大祭。(三大祭典の1つ)

5月18日

早苗振日待祭

巫女さんにより4つの釜の御湯をあげ、今年の豊年・五穀豊穣・家内安全・交通安全・学業向上・商売繁盛・開運厄除・長寿祈願等を祈願する祭典。

6月16日

月次祭

 

6月29日

大祓祭

上半期の内に積もった罪や穢れを祓い、残りの半年を無事に送れるよう神に祈る祭典。(古いお札の焚き上げも)

7月1日

月次祭、神主振舞

 

7月6日

祇園祭

合祀している八坂神社(祭神:素盞鳴尊)のお祭りで、疫病退散、厄除け等を祈願する祭典。

7月16日

月次祭

 

7月24日

地蔵講

 

8月1日

月次祭

 

8月24日

地蔵講 百八灯祭

地蔵盆会と百八灯会を催行。百八灯会は百八灯台に108本の灯心(とうしみ)を灯して諸霊を祀る行事。(子どもたちや一般の方もお参りしている。)

9月1日

月次祭 乙名入り

半年ごとの「乙名入り」も催行される。

9月14日

八幡祭

主祭神の応神天皇をお祭し、氏子・崇敬者の繁栄と平安を祈願する。また、子ども奉納相撲も行われる。

9月28日

日待祭

巫女さんによる御湯をあげ、今年の豊年・五穀豊穣・家内安全・交通安全・学業向上・商売繁盛・開運厄除・長寿祈願等を祈願する祭典。

10月24日

地蔵講

 

11月8日

文化祭

明治時代の天長節祭。大正時代に明治節祭として明治天皇とその時代とを偲び、戦後は文化祭として奉仕する祭典。 (疫病発病なしのお礼と願戻しも行う。)

11月16日

月次祭

 

11月23日

(祭)

新嘗祭

(にいなめさい)

新穀を神さまに感謝する祭典。祈年祭と相対する関係にある祭典。(三大祭典の1つ)

11月24日

亥の子地蔵

 

12月1日

月次祭

 

12月16日

月次祭

 

12月22日

神主振舞

 

12月25日

大祓祭

下半期の内に積もった罪や穢れを祓い、清らかな気持ちで新年を迎えるための神事で、来る年の運気上昇・健康と幸福を祈願する祭典。(古いお札の焚き上げも)

 (3)八幡さん

      平田正男氏宅の東側の山の中(東の「おしょうらい」の
    場所より北へ約20mの所)に「八幡さん」が祀られてい
    ます。いつ頃から祀られているのかは不明ですが、以前
    から近所の方々がお祀りされて来ました。同場所は、平
    成12年に開場したベアズパウジャパンカントリークラブ
  
    の9番コースに隣接している関係から、同クラブが社を
    改築され、現在に至っています。


                    八幡さん

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