(1)昔の農作物等
終戦(1945)から昭和30年(1995)代までは、米作を中心とし、裏作等で生計を立ててい
たようですが、当時の米作とそれ以外の農作物は次のものが栽培されていました。
@裏作(麦・菜種など)
昭和の30年代前半までは、米作の裏作として麦・菜種・大豆を栽培していました。しかし、そ
の後裏作は徐々にやめています。麦・菜種は一部で畑でも作付していました。
A養蚕(まゆを取るため蚕を飼うこと)
その昔は畑作で桑を作り、家で蚕を飼っている家が多かった様で、区に蚕の飼育場があり、
昭和の30年代までは養蚕をしている家がありました。
Bタバコ(ナス科の大形一年草)
タバコを栽培し、煙草の原料としてその葉を出荷している家が一部にあり、区の施設として
タバコの葉の乾燥場がありました。
C
陸稲
陸稲は畑で栽培するお米で、一部の農家で栽培していました。
D干瓢(かんぴょう)
春先から畑で「しゃく」(夕顔)を栽培、夏に収穫し、これを巻き寿司には欠かすことの出来
ない「かんぴょう」に加工して出荷していた家が多くありました。昭和30年代までは、子ども
たちも「しゃく」の皮をむいたり、竿で干したりする等の手伝いをしていました。
E各種の野菜作り等
昭和30年頃まで農業普及員の指導により、それまで当地では不可能とされていたトマト栽
培や果樹の桃・ぶどう作りが出来るようになり、農協に出荷していた家がありました。
(2)古い農具(農業用資材)等
@籾等を入れる用具
ア、ひげなし(右ページの写真、上段、藁製)
籾・麦・大豆・ジャガイモ、さつまいも等を運ぶ用具とし
て利用していました。菜種・玄米等の小粒のものの場
合は、網目からこぼれない様に内に新聞紙などを敷
き、その上から入れたものでした。
なお、籾の運搬用に使用していたのは、コンバインの
導入以前ですひげなしは使用しない時期は、写真左
上の様に重ねて十文字に縄を掛け、かさ張らないよう
に、また持ち易いようにして保管していました。
イ、かます(右写真、藁製)
供出用の玄米入れとして俵の次世代用として利用し
ていたもの。かますは、他では肥料・飼料入れとして
も多く利用していました。戦争なかばまでは、多く獲れ |
|
た「にしん」が田の肥料として「かます」に入って送られて来たとのことです。
ウ、麻袋(右上写真、麻製)
コンバインの導入以前の脱穀機使用時には、この麻袋に籾を入れて運んでいました。
エ、コンバイン袋(右上写真)
コンバインの出現により専用の袋として使用していました。
オ、紙袋(右上写真)
現在では、玄米を入れる袋は、紙袋(30s)を利用しているところです。
Aその他の農業用用具
ア、ふご(右写真)
軽くて少量のものの運搬用具です。紐が
ないので荷うことは出来ないが、「手」が付
いているので1人または2人で運ぶことが
できます。
イ、むしろ(畳1畳分の大きさ、藁製・右写真
)籾・大豆・小豆等を天日干しする場合や、
ビニールシートの出現までは敷物としても利用
していました。「むしろ」は冬場にむしろ織機で
織っていた家が多かったようです。 |
|
ウ、こも(藁製)(右上写真)
「むしろ」で籾等を干す場合、地面に直接「むしろ」を敷くと湿気が上がってくるので、「こも」
を敷き並べ、その上に「むしろ」を敷き籾を広げて天日干しにより乾燥していました。
子どもたちは毎朝登校までに「こも」を敷くのを、下校後は片付けるのを手伝いました。
(こもの利用―こも巻き)
現在、「こも」の利用法としては、庭園等のマツ等に付く害虫駆除として晩秋時期にマツ等の幹
に「こも」を巻きつけ、春先に「こも」の中で越冬した害虫を「こも」ともども焼却し駆除する時に利
用されていることで知られています。
(「籾干し」=「籾の天日干し」)
籾乾燥機の普及や農協のカントリーエレベーターの利用までは、籾は各家で天日干し(太陽の
熱で乾燥させる)を行っていました。(籾干し)
この籾干しは、秋の籾の収穫時期について、家の前の畑を籾干し場(畑一面を平坦にならして籾を干す
場所としたもの)に変更し、籾を干したものでした。
エ、しゅろ縄、麻縄(右上写真)
主に手での田植え時に、横幅を同じにするため検竿で計り縄を張ったものです。
検竿の
使用は苗が植え易く草取機も使用し易いためでした。後年は、軽くて扱い易い、また長持
ちするビニールやナイロンの紐(縄)の出現によって、取って代わられました。
|
オ、もっこ(右写真)
「もっこ」は、細い縄を四角い網状に編み、
その上に荷物を載せ、になえる様に長い紐
が付いています。「もっこ」に荷物等を載せ
「にない棒」(前ページ写真:両端に二本の
金具が3p程度あけて付いており、にない |
|
紐が滑り落ちないようにしてある)で肩でにない運んだものです。
カ、よこだ(横打)(右写真)
大豆・小豆等をむしろに広げ天日干しした時、鞘の中の豆
を鞘から早く出して早く乾燥させる時に、この「よこだ」で鞘
を上から叩き豆を出す等に使用します。
キ、よこ槌(横槌)(右写真)
利用用途は多い様です。一例として、少量の大豆を干した
場合に、「よこ槌」で鞘を叩き豆を中から出す時に使用しま
す。藁でむしろを編んだり縄を綯う場合、藁を石の上などで
この「よこ槌」で叩き、柔らかくし、腰を強くし、すぐった上で
使用しました。また、ナスやトウガラシの茎を支えるための
木を打ち込む時にも使用します。
ク、籾さがし(右写真) |
|
籾を「むしろ」で干す時、「むしろ」一杯に籾を広げるのにこの「籾さがし」で広げます。なお、
籾は朝広げたものを一日中そのままにして置くのではなく、午前と午後に干し直し籾が均
等に、また早く乾燥するようにしますが、この時にも「籾さがし」を利用します。
ケ、からと(穀物貯蔵器)(右写真)
ブリキ製の米・麦等の穀物保存容器です。2俵入りから7俵
位まで数種類あった様です。
コ、1斗缶(右写真)
少量の穀物や湿らせてはいけないもの等を保存していまし
た。蓋が丸いものと四角のもの、さらに丸い蓋に取っ手が
付いているものと付いていないもの等があります。
サ、高うま・脚立(足継ぎ)(下の写真:右端)
木製の脚立は上面が丸型から長方形のものまであります。
背の高いのは「高うま」と言っています。 |
|
シ、とうし(上写真:左端と上段の1斗桝の左)
丸型とうしの色々。中の網の部分も藤や金属製等色々です。とうしは、中の網の目の粗さ
に応じて使用目的が異なっています。
ス、み(箕)(上写真:左から2列目の奥)
金属(金み)・竹(竹み)、藤で出来ているのもあります。
主に脱穀した籾や精米した玄米を袋などに入れたり移し替えたりする時に使用します。
セ、
1斗桝、1升桝(上写真:最上段中央とその手前)
玄米や白米等を量る時に使用しました。(米1斗は15s、4斗で1俵(60s)です。
ソ、弁当ふご(上写真:前列の中央)
昼やこびる(小昼)用の弁当やおやつ等を入れて田や畑・山仕事に持って行ったものです。
タ、秤秤(上写真:最前列)
量る物を吊るし、分銅を動かし目方を量りました。写真の秤は手で持つところが2箇所に
あり、重いもの(80s)と、もう少し軽いものの2種類の計量が可能です。昭和40年頃ま
で使われていたと思われます。その後は台に乗せたら量れる台秤が出現しています。
チ、米用じょうご(前ページ写真:右から2列目)
「からと」の上の穴から中に玄米などを入れる時や各種の入れ物に穀物等を「み」ですく
って入れる時に使用します。
ツ、唐箕(右写真)
足踏み脱穀機等で脱穀した籾や大豆は、藁くやゴ
ミ、空籾や籾殻などが混じっていますので、これら
を風の力を利用して穀物と以外のものを
選別する農機具です。 |
|
テ、縄ない機(右写真)
藁縄を作成する足踏み式の縄ない機です。
藁を藁かち機や横槌でかち、腰を強くし柔らかくし
た上で、縄の太さに応じて藁を喰わせて行くとクル
クル回転しながら縄になり、巻き取りドラムが回転
し縄を巻き取って行くものです。 |
|
ト、千歯こぎ(右写真)
稲・麦・大豆等を金の歯と歯の間でしごく方式の
脱穀用具です。
B生活用品等
ア、火鉢(写真:右下)
大きなものから小さなものまで色々の種類があり |
|
ました。殆どが信楽焼ですが、アルミ製や鉄製銅
製等もありました。石油ストーブやエアコン等の暖
房器具がなかった頃は、火鉢で暖をとったもので
す。また、畳の部屋での会議や会席等では2人に
1個火鉢を置いたものでした。なお、夏火鉢はた
ばこを吸うについて、ライターはなく、マッチを一々
使うのはもったいない時代に、火鉢の火でたばこ
(主にきざみたばこ)を吸う時に利用されていたよ
うです。
イ、かたくち(火鉢の上)
樽等に入っている醤油や酢をこの「かたくち」に小
出しして使用していました。醤油は通常1斗樽に |
|
入ってあり、醤油屋さんが定期的に来て置いていきました。また酢は1升瓶に入っていまし
た。 ウ、壺、とっくり(右上写真)
みそ、茶の葉、酒、穀類などを保存したり、一時的に入れたりしていました。
エ、薬研(右上写真)
薬効をもつ草・根・木や動・鉱物質のものを粉砕するときに使う一種の製薬用具です。煎じ
た薬草などを切り刻む時に使用しました。
オ、櫃(ひつ)(右写真)
炊き上げたご飯を入れる容器。この櫃は風呂敷で
包み、更に「ふご」に入れて保温を保ったものです。
現在のジャーと同じ機能です。
カ、重箱(じゅうばこ)
各種の食べものを、持っていったり持ち帰ったりし
た時に、この重箱に入れ利用しました。昔は、各家
ではよくお餅をついたり、ぼたもち(おはぎ)・赤飯・
おこわ・かやくご飯等を作りました。この時も、重箱
に入れて親戚に配りました。
C藁の保存方法(すすき、ちょっぽ、束、把(束))
稲藁(藁)は、結束状態や保存状態によって次のと
おり表現しています。 |
|
ア、把(わ)(右写真)
稲藁を両手で握れる位の大きさで、根元か
ら20cm位のところで稲藁または紐で結束
したもの。昔は、稲の刈り取り作業等はす
べて手作業で行っていたが、この時刈り取
った稲は1把1把を稲で結束していました。
(1把2把と数える)
イ、ちょっぽ(右写真)
把6把位を寄せて穂先の方で結束し、広げ |
|
て立てて乾燥させる状態のもの(写真の右下のもの)。(6把のものを「6つちょっぽ」と言う。)
ウ、束(右上写真)
ちょっぽを上下交互に6つ位をまとめ、真中で結束した状態のもの。
(藁を運ぶ又は保存する時にこの状態にすることを「束に結う」と言います。)
エ、すすき(右上写真)
藁を写真のように、三角錐状に括りつけた状態にしたものを言います。「すすき」を作るには
「ちょっぽ」4つを立てた状態で結束し、その周りに更に「ちょっぽ」を4つくくり付け(これが土
台)、その上に「ちょっぽ」を少し上にずらしながら結わえて行き、5段まで積み上げます。(「
ちょっぽ」の状態よりも長期間保存する時に「すすき」にします。)
現在、稲の刈り取りは、すべてコンバインで行っているため、普通に刈り取りを行えば稲藁は
約20p位に裁断されてしまいます。その為、藁を保存等する場合は、コンバインの裁断機
能を使わず結束した(把とした)うえで利用しています。
なお、ちょっぽや束・すすきにするのはすべて手作業です。
(3)稲わら干し
平成19年(2007)9月22日付の朝日新聞朝刊滋賀版に「稲わら干し
よみがえる」との
見出しで、春日営農組合が行っている「稲わら干し」の風景写真と共に記事が載りましたの
で、次に掲載します。
甲賀市水口町春日で、稲刈り後のわらを田んぼで干す懐かしい風景が、今あちこちで
見られる。 竜王町で大規模に飼育されている近江牛の飼料用で、地元は牛ふんをもら
って土づくりに役立てる。2年前からの取り組みだ。 稲わら干しは、春日営農組合が管
理している田んぼで行われている。稲を刈るコンバインを操作して、脱穀後の稲わらを結
束、田に立てる。刈り取ってから2週間くらい干すという。同組合は高齢化などで農業が
出来ない農家の田約17ヘクタールを請け負っているが、このうち10ヘクタール分のわら
を利用する予定だ。 この風景は、農家が農耕用の牛を飼っていた50年ほど前までは各
地で見られた。わらの利用が減った今は、刈り取った後、裁断してしまうが、営農組合によ
る農業の大規模化でよみがえった。
平成19年(2007)9月22日付、朝日新聞朝刊滋賀版より転載。上記の記事も。
|
ページトップに戻る |