8.年間行事

  (1)年行事(年用事)役
     
従来、年行事と呼ばれる役については、東・西で各2軒(名)ずつが輪番で1月1日から12月
    31日を1年とする暦年により、次のような用務を務めていました。

    ・1月2日:初寄り(初総集会)に出席された方へのお茶出し、灰皿・座布団並べ、後片付け等
    ・
1月2日頃:春日神社で使用するお米(玄米ともち米)集め(現金の場合は500円)
    ・1月3日西の総山の神、1月9日東の総山の神の祭日当日のお祀り
    ・3月の総集会(年度末総会)時も1月2日の初寄りと同様の用務
    ・9月15日頃:春日神社八幡祭時の松茸山の入札への参加案内(全戸案内)
    ・9月15日頃:松茸山入札時のお手伝い
    ・12月30日:お札さん(大麻)の各戸配り
    ・区からの諸事項の伝達(衛生回り、野止め等の伝達)
  しかし、近年の用務は山の神のお祀りと大麻(お札さん)配りのみです。
  
なお、東の当番は従来、男子で年齢順(20歳位で当たっていた)に務めていました。年行事
  は「年行事指し」の長老の方から「次年度の年行事は誰と誰である」と指名されていました
  が、近年は養子に来られた方もあり年齢順が分かりにくいこと、また誰が春日にいて誰がい
  ないのか良く分からないこと、少子化で年々若くして当たって来る等により、平成16年(200
  4)度からは6組から(一部5組の3軒を含む)の家廻りに改正しています。
  (西は従来から家順となっています。)
 (2)年間の行事等
                  
・行事名の頭の「※」印は、後記に詳細記述してあります 
  

実施日

行事名

内   容

1月1日

※元旦マラソン

8時に草の根広場に集合、2qと1qの2コースで走り初めをしています。
(平成20年(2008)は、子ども15名、大人22名、計37名の参加でした。)

 

初詣

氏神さんの他、田村神社、多賀大社、近江神宮等にも初詣をされている方が多いようです。県下では正月三が日で、多賀大社46万人、近江神宮14万人の様です。

3日〜11日

※山の神さん祀り

東・西の各総山の神の他に仲間(講)の山の神が7カ所ありお祀りをしています。

1月9日頃

※獅子舞
(伊勢太神楽、
6名)

午前7時頃から各家を巡回。
昼食は公民館で区三役が接待しています。

1月中旬

敬老祝賀会

区主催で、数え70歳以上の方を対象としての祝賀会。(区の年間予算の約1割の費用を使用しています。)

平成20年1月13日は該当者109名(男41名、女68名)の内、81名出席でした。

1月中旬

お伊勢参り

神社庁及び氏子総代会の各甲賀支部企画の恒例お伊勢参り。氏子総代、宮守、6人衆、乙名代表、区役員、厄年・祝年の該当者の方々等がお参りされています。(参加は任意です。)

3月初旬

※年度末総会

区の総会の他、改良組合、営農組合、氏子・壇中の総会も同日に開催しています。

3月彼岸

五重作礼会

五重相伝受者の春彼岸の法要です。

4月中旬

道作り

(奉仕作業)

農作業時期の前に農道の補修作業(主に砂利もち)を行うもの。近年は地道も少なくなり、草刈り・(粗大)ゴミ拾いが主な作業です。場所は組別に割当てです。
(時間帯は午前8時から昼までの半日)

4月20日過ぎ

水しかけ、水回し

改良組合の役員と各組1名の水利委員により、田植え前に圃場に水が入るように仕掛けるもの。「何日から水回しをするから」との連絡により、各戸はそれまでに水止めをしたものです。
ただし、平成18年(2006)からは、改良組合主体から営農組合に依頼(請負)に徐々に変わってきています。

5月5日

※春祭り

「春祭り」の項参照

5月下旬

チャレンジデー

5月の最終週の水曜日に実施されている世界的なイベント。当日15分以上の運動をするもの。甲賀市は平成18年度から、当区は19年度から参加しています。平成19年5月30日は73名参加の下にウォーキングを実施しました。

6月下旬頃

草刈り
(奉仕作業)

午前8時から昼までの半日奉仕作業です。
(組別に区域を割当て)

7月下旬

墓地の草刈り

以前は女性部の方々が行っていましたが、平成10年頃から、各戸1人の出役に変更となっています。
(時間帯は午前7時から930分頃まで)
※平成の初め頃から、春日も火葬に変わって来ています。

8月上旬

戦没者慰霊祭

春日出身戦没者の慰霊祭。渓蓮寺で催行しています。

8月7日

※お精霊(しょうらい)

子どもの行事(男子のみ)

8月10日

墓参り

午前5時30分から渓蓮寺において

8月10日頃

納涼祭、花火大会

平成16年(2004)からは、納涼祭と運動会とで交互に開催しています。但し、花火大会は毎年実施しています。

8月13日

迎え灯

精霊の迎え灯

8月15日

送り灯

精霊の送り灯

8月15日

施餓鬼

渓蓮寺で

8月24日頃

地蔵盆

子ども会で地蔵盆行事を行っています。

8月24日

百八灯会

春日神社内、百八灯堂・地蔵堂で催行。

8月下旬

川ざらえ、草刈り
(奉仕作業)

秋の刈り取り期を控え、農道・川・用排水路の草刈りと泥・土砂さらえです。
午前
8時から昼までの半日奉仕作業(組別に区域を割当て)です。

8月31日頃

垣内(かいと)念仏

組ごとに宿の家に1戸1人が集まり念仏・百万遍の数珠繰りをし、終了後直会をしています。

9月上旬

伴谷地区運動会

昭和の終わり頃までは伴谷小学校の運動会と一体で開催していましたが、その後地区運動会として独立しました。
なお、総合グラウンド新設(平成
3年)からは同所に会場を変更しています。
地区運動会は、旧水口町では伴谷地区と柏木地区が継続されているようです。

9月中旬

子ども奉納相撲

春日神社八幡祭の祭典後、神社境内において小学生、保・幼稚園児(男子)による子ども相撲を奉納しています。

9月彼岸

五重作礼会

五重相伝受者の秋彼岸の法要です。

10月上旬

※運動会

区民が一同に会す唯一の行事で、昭和57年(1982)10月31日に第1回開催から継続中の行事です。但し、平成16年(2004)からは納涼祭と交互に隔年ごとの開催となっています。

12月31日

、除夜の鐘

「籠り」は、次項「年間行事」の項参照

(3)年間行事の主なもの
 @
  
大晦日(12月31日)の夜9時前後より、1軒に1人(男性)で忌の悪い方を除いた方々が
  
春日神社にお礼参りをした後、社務所で年が明ける頃(12時過ぎ)ま“こもり”、その後お
    寺へお参りしていました。
       昭和40年(1965)代までは、トランプや花札等
をされて、朝まで籠られた方もあったと聞い
    ています。

       平成10年(1998)過ぎまでは、宮守2名の家族や親戚の方々は12月30日頃から掃除
     や諸準備等の手伝いに駆り出され大変であった(重親類の少ない家は年末の忙しい時期に
     もかかわらず薄い親戚までにもお手伝いを依頼する必要があった)等から、家族のみで行
     えるように改革され(籠られた方へのおつまみ・お菓子・みかん等は氏子総代で準備し接待
     はしない等簡素化された)、併せて籠りの終了時間も午後11時頃には一般の方々は帰宅
     される様に変わって来ています。
    A元旦マラソン
  
昭和50年(1975)代の後半頃より、公民館(区)と子ども会の共催で「元旦マラソン」
   名付け、元日の午前8時頃より
草の根広場から東方面へ約1qと2qの2つのコースに分
      けて走る、走り初めの「元旦マラソン」を開催しています。

        当日は、区三役、公民館主事・同主事補、体育部長等体育部の役員、子ども会(PTA)の
      役員の協力の下に、花火の打ち上げを合図にスタートし、子どもたちには入賞賞品や参加
      賞を出しています。

        近年は、大人の参加者も多く、たき火を囲みながら年始の挨拶等の親睦を図っている行
      事です。
因みに、平成20年(2008)の参加者は、子ども15名、大人22名でした。
    B
山の神の祭事
    
西の総山の神、東の総山の神、その他7箇所の講(仲間)の山の神があります。祭日は、
    
正月3日、7日、9日、11日と奇数の日に行われています。
        祭日の朝、講の皆が藁に餅・みかん・田作・栗・干し柿などを持ち寄り、また当番の世話方
      はお神酒・洗米・塩・するめ・昆布等を準備します。

      皆でしめ縄(7尋半以上)を作り真中にツトを付け、2本の御神木(男木・女木)に吊り下げま
      す。そして、木の股で男女のご神体を作り顔を描き(女木は怖い顔に、男木はやさしい顔に
      描き)半紙を巻きお供えします。

       その後、しめ縄の中央を鎌で下から切り、男のご神体は女木に、女のご神体は男木に相供
      え、祝詞(山王参拝敬って申す 早生も良し 中生も良し 晩生も良し、大
麦・小麦・大豆小
    
豆その他28種の作りもの皆よーし わぁー、他 家内安全・無事通学通勤をお願い申ーす
      ー
(祝詞は山の神により若干の相違があるようです。))を奏上し、五穀豊穣・家内安全・交
    
通安全をお祈りしています。
        祭事が終われば、たき火を囲みながら直会をし、御神酒等をいただきながら親睦を図って
      います。直会後は、お供え物を全員にお下がりとして分けますが、家に持って帰って
も女性
      は頂くことができません。

        山の神の祭事も、当日が平日の場合は勤めがありお参りの方も少ないようです。そこで山
      の神によっては、近年は祭日に近い日曜日に変更しているところが多いようです。

名 称

祭日

場 所

軒数等

備 考

西・総山の神

渓蓮寺横

 

組の3戸を除く西の全戸

東・総山の神

寺堤池横

 

組の3戸を含む東の全戸

名及出山の神

寺堤池横

+α(12)

 

岨出山の神

寺堤池横

15

毎年11〜12名の方がお参りされている

峯道山の神

寺堤池横

33+6(39) 

大正3年は38名、
表示登記上は29名、
祭日は近年7日に近い日曜日に変更

吉山の神

11

寺堤池横

17

元の囲碁木山の神

古衆山の神

 

平林進氏
   宅東

19

(20)

輪番制で2軒が当番。
祭日が1月3日と休日の為、ほとんどの
方がお参りされている。
名称の由来は不明で

宮ヶ谷山の神

宮ヶ谷池の西

16

(18)

近年9日に近い日曜日に変更

日山の神

岡崎豊氏宅の北

組の家

現在は祀られていない

  
     (山の神の神事:講の仲間が持ち寄ったお供え物)
       
        (神木にお供えする男女の神木)
       
             (最後は合体)

 C獅子舞
 
松の内の催しとして獅子舞(伊勢の太神楽)があり、早朝から各戸を巡回してもらって
    います。
     昭和の30年(1995)代までは、毎年1月8日(その昔は異なっていた様です)に巡回されて
    いました。当日は学校では三学期の始業式等で半日であったため、子どもたち
は午後から
    お獅子の後ろを付いて回わり、的屋(露天商)の「ニッキ水」(木箱の中に薄いビンに入って
   
ありクッション材として籾殻が使われていた。)・「カルメト」・「お面」等のおもちゃを買う
 
   のを楽しみにしていたものでした。いずれも値段を忘れましたがニッキ水は1本5円位
   であったか、カルメトは3個で10円位であったのかなぁー。
  
  また、昭和の30年代頃であったと思いますが、お寺の境内で「おやま(遊女)の道中
  
や「茶わん継ぎ」等の大道芸を目の当たりにし、大変感激したものでした。
  D
年度末総会
  3月の上旬から中旬頃に、区の年度末総会(各戸から1名出席)を行っています。
   期日を3月の早い時期にしているのは、区の帳簿(会計)や事業は3月末で締め、4
   月1日には新体制に引き継ぐためです。そのため、まず会計を早く締め会計監査を受
   け、3月の組長会で承認を受け、この決算書は4月の常会で区民に回覧されるシステ
   ムとなっています。(年度末総会では会計決算報告や次年度の事業計画の議事はない
   )このようなシステムは何時頃からなのか、昔
から行わ
れていたのかは不明です。
      総会の主な議題は次年度の区役員の選挙です。他は本年度の事業報告です。
     区の総会は、平成10年(1998)からは、この
年度末総会のみ年1回となっています。なお
     近年は、当日、区の総会の他に春日農事改良組合、農事組合法人春日営農組合、氏子・
     壇中の各総会も併せ開催しています。
   E祭り
  
  春祭りは、以前は5月1日であった(その昔、明治8年作成の春日地誌には4月の申の日
   と
記載されている)が、昭和57年(1982)に子ども神輿の寄進により、5月の第2日曜日
     頃(期日決定は3月の年度末総会で決定)に変更の後、更に平成15年(2003)からは毎
     年5月5日(子どもの日)になっています。
      
春祭りの5月1日から別の日への変更の検討については、当初5月の3日又は5月5日の
     いずれかとの話もありましたが、昭和57年(1982)当時は本田(村池の水の入る田)の植
     え出し(田植えの開始日)が5月3日であったため5月3日はダメ、5月5日はゴールデンウ
   
イークの最後の休日であり家族で出かけたい、との要望もあり、その次の日曜日となり、こ
     の第2日曜日が続いていました。この場合の問題点としては、毎年期日決定の諮問を年度
     末総会にかける必要があり、また宮司さんの予定や祭りの準備等からも一定の日にする
     がベターであるとのことから5月5日に改定したものです。
   Fお精霊(おしょうらい)
 
小学1年生から中学2年生までの男子の行事で、東地区と西地区に分かれて行って
    います。
     東のお精霊は、昭和の終わり頃までは長男しか参加できませ
んでしたが、二男以下
    の子どもは参加出来ず可哀そうであること、また子どもの数が年々
少なくなって来たこ
    とから、すべての子どもが参加できるように改正となっています
。(なお、西は以前から
    すべての男子が参加出来ていました。)
     行事内容は、東地区では8月7日の「お精霊立て」と8月13日の「お精霊の迎え火」、
    西地区は8月7日の「
お精霊立て」と8月15日の「お精霊の送り火」の、それぞれ2日
    に亘る行事です。
     8月7日の行事は、年長児の家が宿の当番をし、子どもた
ちは宿の家に一旦集まった
    後、野菜集めと寄付金集めに各家を回り、お精霊の竹立てを行
い、宿の家で昼と夜に
    御馳走をいただいています。
     近年は、子どもの数が少ないため、前日の6日に野菜と寄付金集め
をし、7日の当日
    にお精霊立て(竹立て)をしている状態です。以前は当日にリヤカーを引っ張って各家
    を回り野菜の他に麦わらも1束ずつ集めていました。
    ア、 8月7日の行事
     
.お精霊立て
   
     
“お精霊立て”は、真っ直ぐに伸びた大小2本の真竹をもらって来て、大きい竹(長
       い竹)は先の方の笹を残し、その下約1m位の所に補強の竹を添え縄
で何重にも
       き、この部分を縄でくくり竹を立て、この竹は強風でも倒れないように四方に引っ張
       っておく。短い竹は、長い竹に添わせて立てておく。また、立てた竹を中心として周
       囲を四角形にして麦わらや藁で囲み、残った麦わら等は中に入れておきます。
     
.野菜集めと寄付集め
       8月7日は、宿の家で昼と夜に御馳走になるため、子どもたちは皆で野菜集めに各
       戸を回り、寄付金をお願いし、集まったお金で年長児がノート・鉛筆等を買って来て
       皆に配り(一部現金配付もある)、夜は買ってきた花火等をして皆なで楽しんでいま
       す。
       この行事の良いところは、お精霊について知ることで先祖から自分へのつながりを
       考えることや、子ども同士の親睦を図ること、上下関係の規律等を学び、野菜集め
       や寄付金集めでは各戸を回るため、家が覚えられる等々です。
    イ、8月13日・15日の行事
      a.東地区(8月13日:お精霊の迎え火)
       東地区は、8月13日に子どもたちはお精霊立ての場
所に集まり、7日の日に立て
       た竹を倒し、午後0時30分頃から囲いの中の藁等を「迎え火」として
燃やし先祖の
       を迎え、これを各家はロウソクや線香に移して持ち帰り、仏壇の前の祭壇にお供え
       しお祀りしています。
      
「迎え火」を燃やす時、年少の子どもたちは宿谷勘樹氏宅裏の小高い畑の所から「
       おしょうらいの迎え火、こうれについてもんでくれ」と何回も大声で
叫び、先祖の魂を
       迎えます。
     
.西地区(8月15日:お精霊の送り火)
         西地区は、東地区と同様ですが、8月15日に送り火として藁等を燃やすもので、「おしょ
         うらいの送り火、こうれについていんでくれ」と何回も叫び、先祖の魂を送り火とともに送
         ります。
       c.8月15日の祭壇お供え物の川流し
        仏壇の祭壇にお供えした品は、平成の初め頃までは15日の日に、近くの川(坊谷川)まで持っ
           ていき、藁・線香に火を付け念仏を唱え川へ流していましたが、環境保護等の問題から川に流
           すのは止めています。
  
G垣内念仏
    
明治以前から続いている行事で、終戦(1945)以前は8月31日の午後、各戸から1人ず
     つが集い、組の各戸を回り百万遍念仏をお唱えしながら大きな数珠を繰ります。最後に宿
     の家で御馳走をいただいていました。
      各戸の念仏には、子どもたちも布の袋を持って付いて回り、お菓子等をもらい又御馳走を
   
頂くのを楽しみにしていたとのことです。
      実施日は、現在では8月31日前後の土・日に多くの組が実施しています。今でも子どもた
     ちが参加している組もあれば参加していない組もある等、組により内容に相違があります。
   H運動会
   
運動会は昭和57年(1982)10月31日を第1回とし、伴谷小学校グラウンドを借用して始
     まり、既に20数年に亘り続いています。現在の会場は、春日草の根広場が出来た数年後
   
より同広場で開催しています。
     
運動会の開催までは、同じく伴谷小学校グラウンドを会場として、組別対抗ソフトボール大
     会を行っていました。
      ソフトボール大会から運動会にわった経緯は、当時の小学校のグラウンドが狭く、或
     試合で飛球を取りに行った外野手が鉄棒に激突し怪我をするという事故があったこと、
ソフ
     トボールは一部の者しか楽しめないこと、女性の方にとってはボールのスピードが速く怖い
     こと、等々から、みんなが集まり楽しむものがないかと検討の結果、既に伴谷の他の地区
 
  で行われていた運動会に変わったものです。
      なお、第1回の運動会を開催するについて、当時の役員の方々は大変なご苦労いただいた
     と聞き及んでいます。例えば、競技種目については老若男女が適度に出場出来る種目は何
     があり、どのような内容にするか、また、あまり大層な用具がいらなくて、且つある程度面白
     い種目はないか、そして組対抗を意識したものに出来ないか等々、種目を決めプログラム
     を作成するだけでも大変であったものと考えられます。
     
また、準備を含む当日の運営はどの様にすればよいか、全員参加のため昼食はどうする

     のか等についても、早くから何回も会議が持たれ
     たとのことです。
    
近年における区民の意見として、「組の人数も少
     くなったので止めたらどうか」、「役員が大変で
ある
    
ので
当区も止めたらどうか、の区では数年前か
      ら中止している。」等、納涼祭ともども中止の意見
     が出ています。しかし、運動会に代わる良い行事
     もなく、運動会は唯一区民全員が集うことの出来る
     行事で、一旦止めたら復活するのは大変であるこ
     と等から、協議の結果、平成16年(2004)より、
     納涼祭と運動会を交互に開催しています。

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