.区行政組織と会計

(1)区の行政組織改革
      当区は昔からの山間地域で農業がほとんどであった終戦
    まで(1945年以前)から、戦後の復興期、その後の経済等 
 
  
  の発展期にかけ近郊地への工場の誘致・進出に伴い、多く
    の方々が勤労者として働きに出るようになり
ました。そして農
    業は機械化の導入に併せ大規模農家等へ委託をされる等、
    専業農家(自営農家)は減少し、男女
を問わず若年齢者から
    高齢者までもが働きに出るようになって来ました。

    このような時代背景の中、平成に入った1990年頃から、区  
    役員の構成・任期期間・年齢等々について、特に若い人達
    から改革を求める意見が出始めました。その当時の問題点
  としては、年度末総会で公民館分館主事に選出されると次
   年度からは農事改良組合長兼区長代理、そして区長(会計
    兼務)へと連続3年間も区の要職を務めることが通例のよう

    になっていたこと、また社会の多様化や業務の区長への集中化及び年齢も50歳前で選出
    され、勤務先でも働き盛りの年代にあって休暇が取りにくい等で、区の主要役職を務めるこ
    とは大変であった等々から、組織改革を求める意見が出始めたものです。
      このような意見を受け、平成6年(1994)に「春日区行政改革準備委員会」が区長以下6
    名で発足、その後同年11月29日には正式に「春日区行政改革委員会」として、区役員や各
    種団体から27名の委員を委嘱し本格的に検討を開始しました。
      その結果、平成7年(1995)2月5日に臨時総会を開催し、新たに策定した「春日区規約」
    が承認となり、同年4月1日から施行しました。主な改正点は、区行政から神社・寺院関係役
    職を分離すると共に、区長・農事改良組合長の職務を軽減する目的で新たに会計と農事改
    良組合長代理職を設けたことです。なお、農事改良組合長と会計はそれぞれ区長代理を兼
    務するが、筆頭区長代理は会計が
担当がすることとしました。
   その後、更なる改革として平成9年
(1997)3月2日開催の臨時総会で、「春日区規約」の一
    部改正に併せ「春日区規約見直しについて」と冠する「申し合わせ事項」を提案、
承認のうえ
   
同日から施行しました。主な内容として@区長・改良組合長の年齢は55歳〜65歳位とする。
   
A会計は区長代理を兼ねるが、筆頭代理としない、また、次年度の全ての区役員から除く。
    B区役員の役務の連続は2年以内とする。C氏子総代、壇中総代は、区の役員から除く。
    D区役員は重複選出しない、次点の方を選出する、等々の画期的な申し合わせ事項が出来
    上がりました。そして、その後更に数次に亘る改正を行ない、平成17年(2005)4月1日からは区
  
   行政より農事改良組合を分離し独立させるという、農村地域ではありますが、現状・将来を見据えた
  
   改革を行ない、今日に至っています。
  【春日区の組織改革(役職名)の変遷】

年代

改 革 内 容

役 職 名

(年度末総会で選出する役職)

平成6年以前

1994)

・従来は、区の組織に農事改良組合、氏子総代、壇中総代も含むとしていた。

区長(会計職務を兼務)

農事改良組合長区長代理

土木委員

公民館主事

氏子総代

倉総代

壇中総代

精米主任

顕彰会

衛生組合

調査委員

農業主事

平成7年

1995)

・区長と農事改良組合長の職務の分散化を目的として組織改革を実施。

・区長代理を2名制(1名増)とし、うち1名は会計を兼務し且つ筆頭代理とした。また、農事改良組合長代理職を新設した。

区長

区長代理(筆頭代理)会計

農事改良組合長区長代理

土木委員

公民館主事

農事改良組合長代理

氏子総代

倉総代

壇中総代

精米主任

顕彰会

衛生組合

調査委員

農業主事

平成8年

1996)

・衛生組合を発展的に解消し、環境委員と名称変更の上、関係業務を引継ぐこととした。

衛生組合 → 環境委員

(その他は同様)

平成9年

1997)

・筆頭区長代理を会計担当者より農事改良組合長担当者に変更。

・氏子総代・壇中総代を区の組織から分離。

・区規約に「申し合わせ事項」を新設のうえ新たに運用した。

区長

農事改良組合長区長代理

会計区長代理

土木委員

公民館主事

農事改良組合長代理

倉総代

精米主任

環境委員

顕彰会

調査委員

農業主事

平成11年

1999)

・監査委員の役職を新設し専任職とした。
従来は、土木委員と組頭代表2名が監査)

監査委員新設

(その他は同様)

平成13年

2001)

・精米主任の役職を廃止(職務は倉総代が引き継ぎ)(12月9日春日営農組合(任意団体)設立)

精米主任を廃止

(その他は同様)

平成17年 2005)

・農事改良組合を区の組織から分離

区長

区長代理
(筆頭代理)

会計兼区長代理

土木委員

公民館主事

環境委員

顕彰会

監査委員

平成21年 2009)

・環境委員(2名)は、東・西地区からそれぞれ1名ずつ選出に改正

役職名等の変更はなし

 

            ※区長は公民館分館長を兼務しています。

  (2) 区事業の改革・変更

     @総集会の年1回開催への変更
    区民が一同に会する集会(総会)は、平成8年(1996)度までは1月2日の初寄り(年始
     
例の初総集会)と3月の年度末総集会の年2回開催していましたが、平成9年(1997)
      度からは3月に開催の年度末総集会のみに変更しています。  
      (初寄りは平成10年(1998)1月2日から廃止しています。)

      廃止の主な理由は、春日に嫁いでこられた若いお嫁さん達から、「年末の春
日神社の籠
      
や1月2日には初寄り及び組汁(各組ごとの新年会)があり、年末から正月三が日は、た
      まの連休ではあるが家族での外出が出来ない等で、初寄りや組汁を止めるか、別の日に
      してほしい」との要望があり、検討の結果、初寄りは中止し組汁は各組任意(開催すること
      自体や開催日も各組任意)とすることとなったものです。したがって、組汁は、即年
から区
      外へ出て行っている組や、従来通り家順に輪番で行っている組等、また開催日も組により
      まちまちとなっています。
     A代参おみくじ抽選日の変更等
     ア、代参
    代参については、平成20年(2008)度では、伊勢神宮、多賀大社、愛宕神社(京都市右
      京区:火伏せ・防火に霊験のある神社)、春日大社(明治8年
9月社名を春日神社と改称以
      来交流を厚くし今日に至っている)
、多度大社(三重県桑名市:雨乞いの神社)の5箇所に
      各箇所いずれも4名でお参りしています。
      ところが、戦前(終戦1945)は、讃岐の金毘羅さん(金刀比羅宮、金毘羅
宮)(香川県琴平
      町)の代参も行われていましたが、戦争が激しくなり廃止となりました。
      また、多度大社の代参は小宮さんの社の中から多
度大社のお札さんが発見されたことを
      きっかけとして、昭和53年(1978)から開始しています。
      春日は昔から稲作の水不足により、雨乞いの祈願を神社等で行っており、雨乞
いの神社
      である多度大社の代参は、古くはお参りされていたのではないかと推察され、そ
れが、何
      らかの理由で中止になり長らくお参りされていなかったようです。
    イ、代参おみくじ
    代参は、おみくじを引くことにより行っていますが、そのおみくじ抽選日が近年次のとお
    り変更となっています。
   .籠りでの抽選に変更
    前項@のとおり、年初の初寄りが平成10年(1998)1月2日から中止となったこと
   
に伴い、当日に行っていた代参おみくじの抽選は、年末の春日神社の籠り(年間行事の項
      参照)の席で行うことになりました。
      従って、代参おみくじは平成9年(1997)12月31日から、同日の籠りの席で午後9時頃か
      らおみくじ抽選が行われることに改正となりました。
   b.組頭会での抽選に変更
      その後、平成15年(2003)度の代参抽選から、籠りの席ではなく12月の組頭会(区三役
      と組長10名で構成)で、氏子総代と乙名代表の立会いのもとに、おみくじ抽選を行うことに
      変更となり、今日に至っています。
      当選者については、当人に連絡の他、12月の常会及び1日の神社籠りにお参りされた方に
       
かるように社務所内にも掲出することとしています。
  (3)会計(区財政)
    区関係の、区協議費の按分割合の変遷、区の協議費負担割合、協議費の負担割合と
  金額の変遷、松茸山入札による区収入、池・川等の入札、協定賃金の推移、土地の
  
買収価額については掲載は見まわせていただきます。

 松茸山入札と松茸山の状況
     昭和50年(1975)代までは、区民の中で客
    山をされている方が数名おられたため、区を挙
     げて協力 し、春日の入口(現在の信号春日の
     少し南寄り
辺り )には「歓迎  春日松茸山」の
   
  アーチを立て、お客様の接待には区民の多く
     が手伝い、お土産物の竹篭に入れる柿・栗等
     も提供していました。最盛期の日曜日には、観
     光バスが十数台も来て大変な
にぎわいでし
た。
     
松茸山の期間中は、落札者しか山には入れず
  落札者は「入山権」が確保されてい  ました。
     期間は、おおむね彼岸の入りから11月10日
     までの約50日間で、現在も同様です。当時は、

  
       昭和31年度から使用中の「松茸山書類綴」(右)

    期間が明けてから山に入っても、土俵松茸を
     見つけることもあり、また多くの種類のきのこ
       も沢山採れたものでした。
     その後、松くい虫の被害が当区でも広がり赤松
  が枯れたり、またヘリコプターによる田んぼへ
  の航空駆除が行われ農薬散布の粉や液が山
  までふりかかったり、地主が木の葉掻きや伐採
  ・下草刈り・枯れ木の撤去等もされなくなり、山
  は荒れ放題の状態となりました。この様な中で
  も、平成のはじめ(1991)頃までは、まだまだ松
  茸が沢山採れ(特に振合・芳谷・瀕谷で多く採れ)


松茸狩りに来た某グループ、各人が松茸を持っての記念撮影
           

  組頭仲間で毎年落札し、家族も参加して松茸狩
  りを行い、すき焼きや松茸、土瓶蒸し等で何回
  も食べたり松茸を皆で分け合ったり、全員が楽しん
  だものでした。その後は、松茸は
おろかきのこも殆ど
  採れなくなり残念です。
昭和47年(1972)からは
   
神竜王カントリー倶楽部、また平成5年(1993)
  からはベアズパウジャパンカントリークラブのゴルフ
  場開発に伴い主要な山がゴルフ場用地となり、今で
  は落札金額も最盛期の2%余りと微々た
る金額に
     な
って います。

  
              松茸のすき焼きを楽しむ一グループ

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