西 暦 |
時代年号 |
歴代区長 |
主 な 動 き、 特 記 事 項 |
1978 |
昭和53年 |
中屋 利雄 |
○住民総会により「菅谷自治会」が発足、発足時の会員は32世
帯、会長、副会長、会計の三役、組は4組とする。
会費は月額300円(その後500円)などが決められた。
○自治会発足から集会所建設までの間、役員会は会長宅を中心
に、時には役員宅持ち回り、町有空地、雨天時は給水塔の下
を利用するなど難渋した。しかし、多くの会員や役員の殆どは
30才台の若さ溢れる世代が中心であり、役員会の議論と行
動は活力がみなぎっていた。 |
1979 |
昭和54年 |
中屋 利雄 |
○地内に20箇所の防犯灯設置を進めたが、設置場所ついて会員
の合意取り付けに大変な労力がかかり、さらに道路の所有者
である東宝ランド、関電八日市支所への許可申請の手続きに
奔走した。 |
1980 |
昭和55年 |
中屋 利雄 |
○菅谷団地には児童公園もなにもない現状に鑑み、菅谷南(現
集会所及びその東部)の町有地を借用したい旨当局との折衝
に日参したが、前向きな回答がえられなかった。役員会で検討
しながら、将来必ず正式借用を実現するとの思いを固め、会長
責任で当時泥沼のような状態であった現集会所の土地を児童
公園とすべく、会員有志の重機による整地協力もあり、多くの
会員の奉仕作業で子供たちの遊び場所を作った。 |
1981 |
昭和56年 |
中屋 利雄 |
○会員は約55世帯となった。
○前年に念願としていた児童遊園地用地(600u)として町当局と
使用料無料の貸借契約が締結された。
○菅谷東南部の広い町有地(現、センチュリー団地)の草刈りを行い、
小中学生を交えて組別対抗のレクリェーションを行
い、ほぼ全会員
が参加して大変な盛り上がりの一日となった。
○自治会活動の本格化と会員増加の中で、活動拠点として集会所が
必要との認識が広がり、その建設が次第に菅谷の悲願と
なり、集
会所建設へ向けての調査と模索が本格化していった。 |
1982 |
昭和57年 |
渡邊嘉一郎 |
○会員は約70世帯となった。
○集会所建設実行委員会が発足し、具体的な建設計画の策定を進め
た。
○集会所建設資金(会費500円+建設資金800円/月)の徴収が78世
帯(当時の資料有)を対象に開始された。 |
1983 |
昭和58年 |
中屋 利雄 |
○集会所用の新たな借地が困難なため、既に貸借している児童遊園
地を集会所用地とするよう町当局と折衝し、ようやく6月に町と貸借
変更契約を締結した。その後は設計図の作成、
建築費用の捻出
策、建設業者は池本工業とし、次いで地鎮祭
と矢継ぎ早に進んで
いったが、関係者の気苦労と多忙は相当
なものがあった。
○臨時総会を開催して自治会会則と集会所規程を改正し、特に
自治
会長は副会長の繰り上がり制に変更した。 |
1984 |
昭和59年 |
中屋 利雄 |
○児童遊園地の土地に集会所を建設したことから、集会所の東
側
(現、草の根広場)をそれに代わる用地として町当局に折
衝し、菅
谷のコミュニティー用地として765uの無償貸借契
約を締結した。
○昭和54年度より町当局への要望事項の一つに、県道に沿って小学
生の通学歩道を求めて県事務所へ幾たびも足を運ん
だが遅々とし
て進まなかった。そこで、中尾町議員の奔走、中尾議員経由国会議
員を通じて折衝に注力し、菅谷前の県道
に現在の歩道が付けられ
た。 |
1985 |
昭和60年 |
渡邊
力 |
○会員は約95世帯となる。
○菅谷自治会発足後も子供会は山村子供会の一員として活動
して
いたが、本年度より山村子供会から独立して正式に菅
谷子供会と
してスタートした。 |
1986 |
昭和61年 |
野崎 正六 |
○総会で従来の500円+集会所建設借入金返済金800円、
計1.
300円を会費と称していたものを、将来の集会所増築
や修理等を
想定して、集会所建設借入金の返済後も会費は
月額1.300円と
する改正を行った。 |
1987 |
昭和62年 |
相井 康明 |
○会員約114世帯となり、自治会発足10周年となった。
○団地内の道路は建設基準の最低限の道路で、基礎工事も不
十分
また狭くて浅い排水側溝と相まり、築後数年も経ぬうちに道路の損
傷が頻発して次第に菅谷の深刻な課題とな
った。
○これまで歴代自治会役員が町当局に道路補修の要望に出向
てい
たが、基本的には私道を理由に対応されず、町より道路
補修材(レミフ
ァルト)の支給を受け、会員総出で穴凹、ひび割れ
の道路を補修する
のが年中行事となっていた。
|
1988 |
昭和63年 |
鈴木
斌 |
○会員は約120世帯となる。
○「草の根広場」建造が決まり、9月に町当局と集会所側法面を含む
土地(1,200u)の貸借変更契約
を締結して10月後半には造成
工事が始まった。
○12月18日、菅谷草の根広場の竣工式を行い、こけら落と
しとして
子供たちを交えた多数の住民参加で球技大会を実
施し、晴れやか
な笑顔ばかりの一日となった。 |
1989 |
平成元年度 |
宮川 春男 |
○会員は約135世帯となる。
○自治会若手会員の有志により応援団の活動が始まり、伴谷
地区
体育大会では他地区から称賛を受け、この活動はやがて他区でも
体育大会に応援団の姿が見受けられるようになり、皆を楽しませる
活動は平成10年度まで続けられた。
この応援団10年の活動は、
若手会員の人間関係を育み、
当時自治会の諸行事活性化に大き
な貢献があった。 |
1990 |
平成2年度 |
竹平 寶 |
○会員は約150世帯となる。
○第2テクノパーク造成計画の一貫として、菅谷地域に対して環境ア
セスメントが実施された。
○水口テレビが放送を開始し、1月13日に菅谷自治会行事
のお楽し
み会「初顔合わせ綱引き大会(162世帯中、198
名参加)」が取
材され後日放映された。 |
1991 |
平成3年度 |
小田 登 |
○会員は約170世帯となる。
○第2テクノパーク造成計画に対して、会員168名連署の陳
情書を
町へ提出した。 |
1992 |
平成4年度 |
小林 起 |
○会員は約184世帯となる。
○老人クラブ「菅谷自治会シルバー同好会」が発足した。 |
1993 |
平成5年度 |
三村 健一 |
○会員は約202世帯となる。
○第2テクノパーク造成計画について、会員への説明会を開
催した。
○菅谷自治会のシンボルマークを公募決定した。 |
1994 |
平成6年度 |
山本 正夫 |
○会員は約214世帯となる。
○第2テクノパーク造成計画について、行政の説明会を開催し、要望
書を提出した。 |
1995 |
平成7年度 |
大西陽一郎 |
○会員は約224世帯となる。
○第2テクノパークの造成工事は菅谷から遠い西奥から既に始まって
いたが、バルブ崩壊不況により工事は停滞して、
町当局・住宅都市
基盤整備公団(住都公団)からの説明会
はこの年より3年間ほど開
催されなかった。
|
1996 |
平成8年度 |
若尾 宣正 |
○会員は約225世帯となる。
○毎年最大のイベントである納涼祭は、全国で蔓延する食中毒O−
157の影響により行政の指導に従って中止の止むな
きに至った。
○笹が丘東交差点の東側にミトヨ団地が造成され、ミトヨ住宅産業(株)
と協議・確認の上、すべて菅谷自治会に加入することになった。 |
1997 |
平成9年度 |
登 俊久 |
○会員は約240世帯となる。この年、自治会発足20周年。
○集会所の増築工事は8月の納涼祭前の完成をめざして5月頃から
工事が開始され、約30uの拡張が竣工したが自治会発足20周年
を記念した慶ばしい事業となった。
○集会所の増築工事は8月の納涼祭前の完成をめざして5月頃から
工事が開始され、約30uの拡張が竣工したが自治会発足20周年を
記念した慶ばしい事業となった。 |
1998 |
平成10年度
|
斉藤 守
|
○会員は約244世帯となる。
○町当局の方針により従来の伴谷地区合同敬老会が廃止され、
これ
に伴う補助金(満70才以上者に1,500円)が新設されたので、満
70才以上の方々にお祝いの品を配布した。
○伴谷地区にあって自治会を名乗るのは菅谷だけであること、
毎年
5月頃、水口町区長会主催の「水口町の施政方針及び
各種補助
金事業他の説明会」に自治会は招集対象とならな
い慣行は、菅谷
住民にとって不利益ではないかとの動機から三役・自治会長歴任者
の懇談会に問題提起して共通の認識を得、菅谷自治会を「菅谷区」
に名称変更する議案を3月の総会で満場一致決定した。 |
この年度より新生「菅谷区」としてスタート! |
1999 |
平成11年度 |
西中新十郎 |
○区民は約259世帯となる。
○4月に新「菅谷区則」の制定をめざして検討委員会を発足
させ、数
次の検討会議を経て11月に臨時総会を開催し新
区則が制定され
た。
○第2テクノパーク造成計画及び産廃焼却場問題について町
当局・県
事務所及び住都公団と住民説明懇談会を開催した。 |
2000 |
平成12年度 |
三好 眞澄 |
○区民は約257世帯となる。
○60才以上の高齢区民有志が区三役と連携しながら「第三日
曜会」
として集い、草の根広場の雑草の根株を掘り起こし
てグランウドゴル
フの場として整備に汗を流し、月一回第
三日曜日に会合をもって健
康と奉仕と親睦をめざして、秋
の一泊旅行などを実施した。
|
2001 |
平成13年度 |
濱脇 重一 |
○区民は約256世帯であった。
○高齢区民の「第三日曜会」が納涼祭に初めて模擬店を出し
て好評
を得た。 |
2002 |
平成14年度 |
片淵 鐡 |
○区民は約256世帯であった。
○第2テクノパーク造成計画について、町当局・住都公団と
説明懇談
会を開催した。
○区の総会において、区の高齢者組織(いわゆる老人クラブ)
として「菅
谷第三日曜会」が正式に承認された。 |
2003 |
平成15年度 |
染矢 伊一 |
○区民は約256世帯であった。
○高齢者組織「菅谷第三日曜会」が菅谷区長、民生児童委員、
町老
人クラブ連合会々長、関係町議員、菅谷子供会長など
多数の来賓
を迎え、正式発足総会を開催した。
○集会所屋根の葺き替え及び炊事場壁の補修工事が竣工した。
○菅谷区及び第三日曜会が協力して子供会行事に協賛し、餅
つき大
会を実施した(翌16年度まで実施)。
○草の根広場の拡張工事が竣工した。
○町の災害予防施策として集会所前駐車場に「地下埋設耐震
性貯
槽」の設置工事が完成した。 |
2004 |
平成16年度 |
角 勝利 |
○区民は約258世帯となる。
○納涼祭で第三日曜会女性部の主導と子供会の協力により江
州音
頭の踊りが盛大に復活した。
○菅谷区内の道路のほぼ全てが町道に認定された。
○(5町合併により「甲賀市」が発足した)
○6組南東部にセンチュリーホームが造成した団地が完成し、
入居が
始まった。
|
2005 |
平成17年度 |
宮本 一彦 |
○区民は約275世帯となる。
○納涼祭に際して第三日曜会の有志が「菅谷子供みこし」を作成して
区子供会に寄贈し、子供たちと区民各層による
みこしの曳き回しが
始まった。
○センチュリーホーム団地と草の根広場の間の土地に、びわ
こホーム
が造成した団地が完成し、入居が始まった。 |
2006 |
平成18年度 |
亀井 伸洋 |
○区民は約282世帯となる。
○区民の気楽な集いや打合せ・相談、カラオケ・将棋・麻雀
など趣味
や遊びなどの場として、区が統括し第三日曜会が
運営協力する月
2回の「菅谷サロン」を集会所で開店し、
情報誌「ネット菅谷サロン」
の発行が始まった。
尚、菅谷サロンの活動は甲賀市社会福祉協議会より奨励す
べき
市民の福祉活動として補助金交付が認められた。
○6月に区三役及び自治会長・区長歴任者を委員とする編纂
委員会
を発足させ、子供会長、区民有志の協力を得て「菅
谷区の歴史」の
編纂作業を開始、12月に刊行した。 |