菅谷団地の誕生

          
     菅
谷区は滋賀県甲賀市水口町大字山字菅谷(一部、字百々谷など)に所在するいわゆ
     る新興団地である。
   
菅谷区の位置
   
伴谷地区の東南の位置にあり、水口工業団地の西方に連なる近江水口テクノパークと
   隣接する。

             昭和40年代、大阪に本社のある開発業者の東宝ランド(株)は、伴谷地域の内、 春日、山
     地区の広陵地帯に宅地開発を進め、第1、第2(桜ヶ丘)、第3、第4水口台
に次いで第5水
     口台(菅谷)の総計125万uにわたる広大な造成を行った。

      菅谷団地(第5水口台、68.320u、414造成区画)は49年頃から分譲を 開始し、その
  後は住宅の建設風景が見られたが、50年8月28日、鈴木斌氏(現、6組)が 入居第1号者
  として住生活を開始された。


鈴木    斌氏宅

       当時、菅谷前の県道はまだ砂利道(県道の舗装は51年頃に実施された)であり、早朝に
  は 住宅近くからあわてて逃げ出す狸、飛び立つ雉など現在では想像できない風情であった。

        また、入居後の冬には水道管が凍結して1か月ほどは町水道課の給水に頼る生活であった
     りした。
        菅谷への入居者は遂次増加していったが、町行政に直結する自治組織は隣接する 山区
     に所属した。当時から菅谷自治会発足後の長き期
間にわたり、山区の菅谷に対 するご配慮
     は大変なものがあり、その時期菅谷の自治会役員や子供会役員の多くが 山区には大変お
     世話になったと特筆されている。
        52年頃から、造成間もない新興団地として基盤整備に係わる課題や行政に対する 要望
     も見えてきたこと、町当局からも自治会結成の要請があることなどから、山区 から独立して
     菅谷自治会結成をとの機運となり、自治会の会則をはじめ諸
要件の検討と結成準備に
 
していった。