8.寺の由来

  @天台宗 智禅院   大字伴中山字神田  山号を神珠山智禅院中山寺と称する。

 

    
木造地蔵菩薩半跏像

 本尊  子安延命地蔵尊であり秘仏で国の重要文化財です。
 由緒  創建不詳であるが、約千年前のものと思われる。天正初年(1573)より慶長7年(1602)ま
      では廃絶同様で同年甲賀市信楽町宮町の飯道寺より教仙坊が転住し再興また一説に
      は貞元元年(976)僧良源が勅を奉じ創立し慶長7年(1602)再興しました。同寺は信徒寺
      で大字伴中山105戸と大字下山の臼井家も信徒です。本尊子安延命地蔵尊は33年
      に一度の開扉しています。他に釣鐘堂があり十玉舎焔魔大王の仏像があります。
      現在の建物は信徒の寄進により建立されたもので、本尊子安延命地蔵尊は、貞元年
      間源が本寺に留鍚中の作と伝わっています。
      境内地は、405坪です。

 A黄檗宗 瑞願寺     大字下山字前田

 

本尊  十一面観世音菩薩
     境内地 234坪
由緒  創立不詳にして当寺は伴家の信徒寺
     で、元録年間中興大肩禅師が黄檗宗
     に改宗ししました。
           

           
           


 B黄檗宗 玉台寺  大字山字長谷  本尊  十一面観世音菩薩   境内地 425坪

 
            水口霊園

由緒  創立は天和年間にて開山元海で黄檗
     宗万福寺の末派に属し、天和2年(1682)
     石見国吉永領より加藤内蔵助明友堤封
     し水口城に移り水口藩士菅家数家の菩
     提寺となると伝えられている。
     昔、此の地に宝台寺と称する古刹があっ
     たが、廃滅したため、当地を創立し、改
     めて玉台寺と称し開基しました。
     尊の十一面観世音菩薩は、廃寺白本山
     寺の仏像と伝え聞くが、昭和34年(1959)
     の伊勢湾台風により本堂が崩壊し、廃寺
     となり、現在は、水口霊園となっている。

 C真宗本願寺派 法念寺    大字山字田引  本尊  阿弥陀如来

 

由緒  天文年間六角氏の庶流杉本左京氏は、
     安土の観音寺城城落後ひそかに逃
     れて、当村に来られました。剃髪して相
     休と称し本願寺法主証如に帰依し一序
     の草庵を建てましたが、文禄3年(1594)
     火災により焼失し、正徳4年(1714)本願
     寺より杉本山法念寺の寺号を下附せら
     れ、宝暦2年(1752)9月新たに本堂を建
     立されました。
檀家  26戸  境内地 296坪

  D浄土宗 西栄寺    大字八田字中尾

      
                      木造阿弥陀如来坐像

  本尊  阿弥陀如来     薬師如来        檀家73戸    境内地 297坪
   由緒  安養山西栄寺は寛文11年(1671)僧鏡譽存長大徳と称譽然龍大徳で安土厳院の末寺
        で、明治23年(1890)京都智恩院の末属となる。元は天台宗と思われる。本尊阿弥陀如
        来像は、木造で2尺5寸で、又薬師如来像も木造で2尺5寸の座像で伝わる所による
              と、両方共に恵心僧都の作で治42年(1909)国の重要文化財に指定される。
        明また、地蔵菩薩像についても平安末期の作で、本来なら国の重要文化財に相当する
              像と住職は説明されました。


造薬師如来座像


木造地蔵菩薩立像

 E浄土宗   渓蓮寺   大字春日字瀕谷    本尊  阿弥陀如来

 

檀家  104戸    境内地 447坪
由緒  亨録2年(1529)創立で、天正10年(158
     2)安土浄厳院住僧の応譽上人中興する
     
当山は仏法山と号し安土浄厳院の末寺
     
で、明治23年(1890)京都智恩院の末属
     となる。又此の地の東方に堂峰山若玉
     寺と称する庵がありましたが、荒廃し、
     明治10年(1877)これを廃止し当寺に合
     併しました。また、八田の西栄寺と共に
     日野町に ある大聖寺とは寺縁がある。
           春日神社地蔵堂の大日如来坐像は、市
           重要文化財に指定されている。

 F浄土宗   九品寺   大字下山字市場      檀家 73戸   境内地 1,084坪

      

  本尊  阿弥陀如来
  由緒  応永23年(1416)伴周防守、伴氏の菩提寺のため尭譽上人を請し創建。
       開基は隆堯法印で天台宗として生まれる。慶長年間焼失し、貞亨3年(1686)僧見達再
             建した。当時は安土浄厳院の末寺であったが、明治23年(1890)京都市智恩院の末属
             となった。墓地には大きな石塔があり慶長14年(1609)と刻してあり、又小さな石塔には
             文禄元年(1592)の銘がある。

  G浄土宗   良徳寺   大字伴中山字城下    檀家 30数戸   境内地  160坪

 

  
   江戸時代の俳僧・蓮車坊円隋 作
           「山路来てうれしや秋の雨やどり」 
  

 本尊  阿弥陀如来  天台宗宝臓寺の本尊
 由緒  大永2年(1522)僧隆眞開基で、その後廃絶しが、正徳3年(1713)再興当寺は清治山と
      号し安土浄厳院の末寺でその後、明治23年(1890)京都市智恩院の末属となった。
      又相伝によると文安年間清治房と称する僧が一堂庵を建て、その後九品寺の僧隆眞
      が一寺をなしたりと聞く、この寺は水口町美濃部出身で江戸後期の旗本美濃部栄治郎
      氏の寺と聞き及んでいる。

 H浄土宗   西光寺   大字伴中山字神田     檀家 10数戸    境内地  196坪

    
         美濃部氏歴代領主の墓石六基

 由緒  開基は天正元年(1573)本譽上人であったが、その後廃絶し貞亨4年(1687)再興した。
      誓演山と号して水口町心光寺の末寺で京都市百万遍派に属し、江戸後期の旗本美濃
      部彦十郎氏の寺で墓地内には、当智院殿本譽誓演大師他5体の立派な旗本の墓石が
      あります。

 I浄土宗  清福寺   大字伴中山字村外     檀家 30数戸   境内地  160坪

   
                  石造宝篋印塔 (南北朝時代)

 本尊  阿弥陀如来
 由緒  開基は不詳で、国王山清福寺と号し、享保元年再興し、僧は不詳で、水口藩加藤家の
      菩提寺であり、安土浄厳院の末寺で、明治23年(1890)京都市智恩院の末属となった。
      昭和27年(1954)9月寺院等の改正法施行に当り当時住職の高須博導師は単立寺院
      として独立し浄土宗清福寺となった。
      現在は京都市智恩院の末属となった。建武2年の宝篋印塔が市重文

 J浄土宗   東光寺     大字伴中山字百姓村     檀家 28戸   境内地  228坪

   

本尊  阿弥陀如来 
由緒  開基は隆阿上人にして大永元年(1521)
           で、その後廃絶同様となった。
           享保11年(1726)中興恵立上人により
           建し旭照山と号して京都市智恩院の末
     寺に属し、当寺は徳川氏の旗本美濃部
     八十郎氏の寺であった。
                          

 
  K浄土宗  西養寺    大字山字西村           檀家  20数戸   境内地  194坪
 

本尊  阿弥陀如来
由緒  開基は隆阿上人にして文明年間創立し
      東照山と号し、大字伴中山字百姓村東
           光寺の開基の上人と同人で、京都市智
           恩院の末寺に属する。
           
           
           

 L浄土宗   慈幸寺     大字山字千町    檀家   30数戸   境内地  144坪

  

本尊  阿弥陀如来
由緒  創立は不詳、享保13年(1728)中興僧
     良哲上人が再建し、当寺は春岬山と
     号し、安土浄厳院の末寺で、明治23
     年(1890)より京都市智恩院の未属とな
     った。

 M浄土宗   善勝寺   大字山字上ノ山      檀家   40戸   境内地  176坪

  

本尊  阿弥陀如来
由緒  創立は慶長年間で、進譽上人開基、文
     化年間に焼失又文政7年(1824)再建し
     、当寺は、城之山号し安土浄厳院の
    
末寺で、明治23年(1890)より京都市智
           恩院の未属となった。
           
           
          

   廃寺に就いて
  N天台宗   白山寺     大字山字白山
     本尊  十一面観世音菩薩
     由緒  僧良源(元三大師)の創立で、その鎮守は、白山権現社で伽藍その他具備し、下馬石
                が松尾より中山に通ずる道路側にあり、元亀年間に兵火にあい鳥有に帰りました。
                本尊十一面観世音菩薩は、その後玉台寺へと移った。
 O天台宗   宝臓寺     大字伴中山字座禅坊
       本尊  阿弥陀如来座像は、現在の良徳寺の本尊と聞き及んでいる。
       由緒  創立不明、元亀年間に織田信長の焼き討ちにより焼失した。
       田林三雄氏の東の山の頂にあったが、廃寺となっている。
 P天台宗   善隆院     大字下山字細佐
       津山城跡の南、臼井鉄三郎氏の裏にあったが、浄土宗九品寺の草創によって廃寺
       となり又本尊等も不明である。
 Q眞言宗   光明院
       下山城主伴太郎左衛門秀景、浄土宗九品寺創建により、廃寺となり、又本尊等も不
       明である。
 R宗派不詳  東伝寺     大字山字上ノ山
       佐々木氏滅亡の際、上山城と共に兵火にあい廃寺となり、その後、浄土宗善勝寺と
       なった。
 S其の他
       各字に寺院として多数あったが、由緒寺院名等不詳である。
       下山故林田泰一家の裏山、伴中山の小学校裏山、山の大平敏夫家の裏山八田の
       西栄寺の前名、春日の若王寺、春日神社内の観音堂および仏像、山村神社観音堂
       の前名等不明
                                                              ページトップに戻る