7.神社の由来

       延喜式内神社は格式の一つで、京都御所を守護する宮といわれ、水口では、北内貴の川
   田神社と水口神社で、伴中山の三十八社は、惣社と呼ばれていた。
   宮司については、古代は天台宗の僧侶別当法眼等これを行っていました。初代は宿谷伊之
   助氏で山村神社に籍を置き他社を兼務され、次に岩根の吉田伊一氏が、これを行い、その
   後、伴谷村長を終った後の藤岡忠三郎氏となり約10年間の後平田熊造氏が宮司として三
   十八社に籍を置き伴谷各社を兼務し各祭礼に参拝され昭和34年(1959)まで勤められ、そ
   の後元伴谷村長の宮路茂兵衛氏が昭和59年(1984)までの20数年間勤められ、その後、現
   在の柏木神社宮司の川島雅臣氏が兼務となった。

 @八田神社    大字八田字上出鎮座

祭 神  瓊々杵命  大巳貴命
             社殿 一間社流造桧皮葺方四間南面
由 緒  寛仁2年(1018)4月勘進し治安2年
             (1022)社殿を建立
             慶応3年(1867)までは両山王社と称
             し、同4年(1868)社名を改め八田神。
             社と称する明治9年(1876)村社とな
             り、氏子 76戸明治19年(1886)拝殿
             を建築する。
例祭日  5月1日
境内社  天照皇太神宮八幡神社 東照宮 愛
             宕神社 稲荷神社 籠明神

 

 A春日神社    大字春日字芳谷鎮座

   

 祭神     応神天皇 天児屋根命 玉依姫命 素戔鳴命 社殿 三間社流造桧皮葺 間口 十三
       尺 奥行 十二尺八寸

 由緒  応神天皇は文保元年(1317)現地に勧請して八幡宮と
      する天児屋根命 玉依姫命は延久4年(1072)勧請し天
      児屋根命を永亨4年(1432)宮が谷へ玉依姫命は天文23
      年(1554)田首に鎮座し、東西の山王 社と称する。素戔鳴
      命は、天録元年(970)大字 春日天王前に鎮座し祇園は午
      頭天王社と称し明治5年(1872)社名を藤木神社又は八坂
      神社とも呼び、明治6年(1873)許可を得て現在地に移し、
       明治8年(1875)社名を改め春日神社と称し、明治9年(18
       76)村社境内社として愛宕神社、皇太神社、多度神社又
       本社の上の山に天狗下堂、には地蔵堂があり、内には
      師如来、大日如来、地蔵菩薩、聖観世音菩薩等が祀られ
      ています。地蔵堂の大日如来坐像は、市重要文化財に指
      定されている。 


    木造大日如来座像

 B日吉神社    大字下山字前田鎮座

 祭神  大山咋命  高龗神  応神天皇
           社殿  一間社流造桧皮葺 間口六尺
      奥行六尺 南面
 由緒  天暦2年(948)勘進し無格社貴船神社
     
として前田に鎮座<応神天皇は長久2
      年(1041)勘進し前田に八幡宮として鎮
      座、本社は日吉大社七座の1つ十禅
      師を勘進し、元は十善神社と称して別
      当を西養寺ともいい文明年間より社事
      
を兼務し、明治元年(1868)通達により
      同寺を解き社名も日吉神社と改め、明

      治9年 (1876)村社となり氏子74戸、明治42年(1909)各社を本社境内に移し祀られてい
      ます。境内社 嬉神社(神武天皇の母君) 稲荷神社


 C山村神社    大字山字田引鎮座

   

 祭神  少彦名命   菅原道真公
            社殿   1間社流造桧皮葺 間口 1間2尺 奥行 1間 南面
 由緒  当社は占石により世に知られる宮で、創立不詳その神護寺を観音寺といい堂を観音堂
      といった。当社は古来占石をもって世にしられている。
      「近江興地志略」に曰く、「天神社堂村にあり、祭神菅丞相の霊也、鎮座の年記未詳、
      社檀に1尺許の円石で、参詣の男女祈願の吉凶を占う吉なる時は軽く挙り、凶なる時
      は盤石の如くに重く其奇特著し、近国の男女参詣甚だ多し。」と、「挨囊抄」「雲根志」「東
      海道名勝記」「伊勢参宮名所図会」等いずれもこの占石の霊験を載せており、その霊験
      は今なお氏子の村人はもちろん遠近の人々によって深く信仰されています。
      境内社 八幡神社  竉明神  八坂神社  皇太神宮遥拝所  此の地にある。
      観音堂内本尊は十一面観世音菩薩像又釣鐘堂の釣鐘等がある。

 D参十八社    大字伴中山字神田鎮座
   

 祭神  国狭槌命  瓊々杵尊  菅原道真公
            社殿  3間社流造桧皮葺 間口 12尺 奥行  6尺 南面
 由緒  延長4年(904)勘進建立伴谷村の惣社で、三十八所大明神として祀る神は、天神7代神
      地5代般若16善神法華10羅刹以上の三十八神を中山寺の守護神として祀り、慈恵
      大師奉勅により勘進建立した智禅院中山寺、又中山神社と言った 時もあり、祭神 国
      狭槌命瓊々杵尊 菅原道真公を合わせ祀る、又社務所内には1尺余りの円石で占石
      であり、山村神社と同じように吉凶を占うものでありま す。
 境内社  八幡神社  勝手神社  今宮神社  金比羅神社  秋葉神社
       皇太神宮遥拝所  稲荷神社
 境外社  天神山々頂に水受神社
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