西 暦 |
天皇 |
時代年号 |
主 要 事 項 |
出 典 |
a |
a |
(縄文時代)
|
a |
a |
a |
a |
a |
(伝承)伊邪那岐大神「故其伊邪那岐大神者坐淡海之多
賀也」天神七代にして多賀大社由緒
|
古事記
|
a |
a |
(弥生時代)
|
a |
a |
a |
a |
|
a |
a |
a |
a |
(古墳時代)
|
a |
a |
316 |
垂仁 |
垂仁天皇4年 |
(伝承)倭姫命
神鏡を奉じて日雲宮(五十鈴神社か)に斎
するという |
日本書紀 |
337 |
〃 |
垂仁天皇25年
|
(伝承)大水口宿禰、水口神社祭神で穂積臣の祖
淡海川
枯姫の縁により当地開拓の神
|
〃
|
a |
a |
(大和時代)
|
a |
a |
552
|
欽明 |
欽明天皇7年12月
|
佛教伝来・・・ 538年佛教公伝百済聖明王伝像を伝える
|
上宮緊続法王帝説
|
584
|
敏達 |
敏達天皇13年
|
(伝承)
甲賀村主・・・ 阿智王十七県の民を率いて帰化し、近江
等5国に分置し郡司を務む
鹿 深 臣 ・・・ 甲賀臣、甲可臣乙磨(正倉院文書)
甲賀公是茂(天正10年追捕使に任じられた
帰化人)甲賀郡司を務む
山 直 郷 ・・・
(伴谷、岩根、柏木、大野) 挟々城山君の
一族山直氏が統括した
|
a |
坂上系譜
|
敏達紀
|
朝野群載
|
近江与地志略
|
a |
a |
(奈良時代前期)
|
a |
a |
667
|
天智
|
白鳳6年3月
|
志賀の都(大津の宮)遷都
|
日本書紀
|
671
|
〃
|
白鳳10年
|
漏刻により鐘鼓を打ち時刻報知
罐子塚古墳(下山字引坊)甲可臣一族の墓噴か
|
〃
|
水口町志
|
672
|
弘文 天武 |
天武天皇元年
|
壬申の乱・・・ 大海人皇子東国から伊賀積植(拓植)の山
口で鹿深(甲賀)より越えて来た高市皇子
と合し、大山を越えて伊勢の鈴鹿に行く記
事あり
|
日本書紀
|
a |
a |
(奈良時代後期)
|
a |
a |
782
|
桓武
|
延暦元年
|
思ひ川・・・ 桓武締名付く「近江がた岩根の東への思ひ
川、川上もなし、川下もなし」
「近江なる人と松尾の思ひ川、川上もなし、川
下もなし」
|
甲賀の歳月
|
783
|
〃
|
延暦2年8月
|
憎慶俊天狗堂(天台宗)地蔵堂(地蔵菩薩)を勧請(春日
神社)
|
寺院明細帳
|
788
|
〃
|
延暦7年
|
憎最澄比叡山に延暦寺創立
|
日本史年表
|
a |
a |
(平安時代後期)
|
a |
a |
851
|
文徳
|
仁寿元年
|
山村神社内の観世音菩薩創設 西観法師作
|
天神社 由緒書
|
901
|
醍醐
|
延喜元年
|
菅原道真、大宰府に左遷さる
|
日本史年表
|
四男敦茂、美濃部郷に流寓、郷長兵左衛門為親の女婿と
なり子菅三郎直茂は美濃部郷の祖となる
|
水口町志
|
948
|
村上
|
天暦2年11月
|
十善神社(大山昨命)勧請(日吉神社)
|
水口町志
|
949
|
〃
|
天暦3年
|
山村神社内の社殿造営 是兼(直茂公の子息)作
|
天神社 由緒書
|
957
|
〃
|
天徳元年
|
伴宿弥資守早俊(伴氏の祖)甲賀郡長となる 〜 959
|
甲賀郡志
|
970
|
円融
|
天禄元年6月
|
祇園午頭天王(素盛鳴命)勧請(春日神社)
|
甲賀郡志
|
976
|
〃
|
貞元元年
|
憎良源、中山寺、白山寺(木井寺)草創
|
水口町志
|
三十八処大明神(国狭槌命瓊々杵尊)中山寺守護社とし
て勧請(三十八社)
|
天神社 由緒書
|
神珠山大明寺智禅院(天台宗地蔵菩薩)憎良源の開基
|
水口町志
|
重要文化財(本尊地蔵菩薩半跏像 1.35m
寄木造鎌倉時
代作桧材
|
水口町志
|
1018
|
後一条
|
寛仁2年4月
|
両山王(瓊々杵命、大己貴命)勧請(八田神社)
|
水口町志
|
1045
|
後冷泉
|
寛徳2年
|
柏木荘に入る(北脇、宇田、植、酒人、泉、名坂、林口、松
尾、中山、下山、春日、山、八田、上村)
|
甲賀の歳月
|
1072
|
後三条
|
延久4年4月
|
東西山王(天児屋根命、玉依姫命)を勧請(春日神社)
|
水口町志
|
1114
|
鳥羽
|
永久2年7月
|
円城寺領(刑部丞源義光は山村柏木の2郷を円城寺金光
院に仏鈎灯油所として寄進する)
|
甲賀郡志
|
駒の口・・・(野洲川北部の栢木山村牧と八馬を主とする放
牧地で朝廷に献馬した)
|
水口町志
|
1164
|
二条
|
長寛2年
|
神宮領となる
|
神宮雑誌
|
栢木御厨新立せらる。五郷とは1.山村三郷(上山郷山)
2.中山郷(中山、春日) 3.下山郷 (下山)
4.栢木郷(宇田、名坂、松尾、北輪) 5.酒人郷(酒、泉、植)
峯道・・・山中文書中の心光譲状に弁房道俊への譲件記
載あり
|
水口町志
|
a |
a |
(鎌倉時代)
|
a |
a |
1216
|
順徳
|
建保4年
|
山中俊道 子俊信に山中村地頭職、上山村友行名同下司
職を譲る
|
水口町志
|
1309
|
花園
|
延慶2年11月
|
伴太郎左衛門景秀(播磨守とも)下山城を築き、畑村、中
山村、下山村を領す
この時代以降中山村を伴中山村と改称、伴の郷、又、伴
の谷と云う
|
甲賀郡志
|
1317
|
〃
|
文保元年8月
|
八幡宮(応神天皇)勧請 (春日神社)
|
水口町志
|
a |
a |
(南北朝時代)
|
a |
a |
1334
|
後醍醐
|
建武元年8月
|
上山村観音寺別当職敷地山林荒野を山中斉公道俊宛に
安堵する
|
水口町志
|
1335
|
〃
|
建武2年7月
|
座禅坊名老町惣荘検断職料として橘六頼俊に安堵する
|
水口町志
|
1336
|
〃
|
建武3年
|
橘道俊 山村の名主職となる
|
日本古城 友の会
|
1337
|
〃
|
建武4年
|
清福寺に宝篋印塔建立(建武4年の刻印あり)
|
清福寺
|
伴大隈守資景足利尊氏に属し、畑村城(伴中山)を築く
|
日本古城 友の会
|
1357
|
後村上
|
延文2年
|
橘道俊 上山村地頭職、領家職を佐々木六角氏頼より預
る
|
水口町志
|
1374
|
長慶
|
応安7年12月
|
三十八社大明神本社中興再建の棟札(大工林口兵衛丸
末守とあり)
|
三十八社 由緒書
|
a |
a |
(室町時代)
|
a |
a |
1416
|
稱光
|
応永23年
|
能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)伴氏の菩提寺として
僧隆尭法印の弟子尭誉隥真上人創建
|
甲賀郡志
|
1431
|
後花園
|
永享3年11月
|
八田村を岩根郷と定む
|
甲賀郡志
|
1444
|
〃
|
文安元年頃
|
清治房 良徳寺の前身草庵を結ぶ
|
水口町志
|
1480
|
後土御門
|
文明10年頃
|
東照山西養寺(浄土宗阿弥陀如来)を第一世尭誉隆阿開
基
|
水口町志
|
1487
|
〃
|
長享元年10月
|
長享の乱起る 甲賀五十三家 戦功あり
|
甲賀郡志
|
・八田勘助(左近介とも云う)京都真如寺正賑院の下司と
して居住六角高頼の旗下、八田館に住す・上山新八郎、
上山城に在り六角高頼に属し、正徳2年迄居住
・中山民部丞、伴氏の一族で長享2〜3年に中山城を築
き、六角高頼に属す
・中山民部丞、伴氏の一族で長享2〜3年に中山城を築
き、六角高頼に属す
・伴 左京介資頼・・・下山城に在り、高頼に属す。二十一
士にたたえられる
|
日本古城 友の会
|
1521
|
後柏原
|
大永元年
|
旭照山東光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎隆阿開基
|
水口町志
|
1522
|
〃
|
大永2年
|
清治山良徳寺(浄土宗阿弥陀如来)憎隆真開基
|
水口町志
|
1529
|
後奈良 |
亨禄2年9月
|
仏法山溪蓮寺(浄土宗阿弥陀如来)憎応誉創立
|
水口町志
|
1531
|
〃
|
亨禄4年3月
|
上山城(築城持の瓦に年号銘入あり)上山新八郎の子、上
山徳三郎二より改築
|
江源武鑑
|
1532
|
〃
|
天文元年
|
津山城(下山字細佐にあり) 津山左京資玉の居城か
|
ふる里下山
|
1540
|
後奈良
|
天文9年
|
上山城主
上山徳三郎の子上山伝八郎宗秀が田中伝八郎
宗秀と改名した。近江の15勇士の一人で、伊庭城におい
て演武開催された13代将軍足利義時より太刀一振の褒
美と従四位を賜る
|
江源武鑑
|
1545
|
〃
|
天文14年
|
杉本山法念寺(真宗、阿弥陀如来)相休(杉本左京)小庵
を建てる
|
水口町志
|
1556
|
〃
|
弘治2年
|
山村神社の由緒書 大原右近助永栄作
|
天神社 由緒書
|
1566
|
正親町
|
永禄9年
|
伴、山中、美濃部、三方起床請文を作り、地下の治安維持
をはかる
|
水口町志
|
1570
|
〃
|
元亀元年
|
白山寺(木中寺)信長の兵火に罹災滅する(鎮守白山権現
社を東谷の高地に遷し、寛永の頃廃滅 字白山の水田中
に大梵鐘埋没の伝承あり)
上山城信長に攻められ落城する
伴太郎左衛門資家織田信長に仕える
|
甲賀郡志
|
a |
a |
(桃山時代)
|
a |
a |
1573
|
〃
|
天正元年
|
誓演山西光寺(浄土宗阿弥陀如来)当智院殿本誉誓演大
姉開基
|
水口町志
|
1574
|
〃
|
天正2年
|
仏法山溪蓮寺(浄土宗阿弥陀如来)憎僧誉中興
|
寺院明細帳
|
1582
|
正親町
|
天正10年6月
|
本能寺の変にて伴資家信長と共に戦死し、下山城廃滅する
|
日本古城 友の会
|
1585
|
〃
|
天正13年
|
中村一氏、大岡山に岡山城を築き城主となる この頃現在
の水口市街の原型ほぼできる
|
水口町志
|
1600
|
後陽成
|
慶長5年
|
関ヶ原の戦後岡山落城(城主長束正家の室、栄子姫思ひ
川沿いに北脇へ逃る)
伴上野守資光 朝国、八田を領す
|
甲賀郡志
|
1602
|
〃
|
慶長7年
|
天台宗 智禅院 領道寺教仙坊再興す
|
甲賀郡志
|
1610
|
〃
|
慶長15年
|
城之山善勝寺(浄土宗阿弥陀如来)第一世進誉開基
|
水口町志
|
a |
a |
(江戸時代前期)
|
a |
a |
1617
|
後水尾
|
元和3年
|
国領半兵衛八田村を領す(石高335石6斗2升とある)
|
甲賀郡志
|
1624
|
〃
|
寛永元年
|
上山村を分けて上村、下村とする
|
甲賀郡志
|
1632
|
〃
|
寛永9年
|
小堀遠州 水口碧水城を築く
|
水口町志
|
1655
|
後西
|
明暦元年
|
八田焼はじまる(宮治伊兵衛
京で窯業を習い陶器を焼く。
武藤佐兵衛、宮治法兵衛と共に
高松山の土を使う。最盛
期23戸あり。)
|
甲賀郡志
|
1669
|
霊元
|
寛文9年
|
人別改帳作成さる
|
水口町志
|
1671
|
〃
|
寛文11年
|
安如山西栄寺(浄土宗阿弥陀如来)僧 鏡誉存長大徳が再興する
・重要文化財 阿弥陀如来 恵心僧都作 藤原様式
一木造0.53M
薬師如来坐像 鎌倉時代 桧寄木造 0.52M
|
水口町志
|
1675
|
〃
|
延宝3年
|
上山郷上村を分けて堂村とする
|
甲賀郡志
|
1678
|
〃
|
延宝6年
|
宮治孫兵衛八田代官となる
|
|
1682
|
〃
|
天和2年
|
加藤内藏助明友石見国吉永より水口へ転封 水口藩政始
まる
|
水口町志
|
a |
a |
(江戸時代中期)
|
a |
a |
1683
|
|
天和3年
|
瑞竜山玉台寺(黄檗宗万福寺派十一面観世音菩薩)憎天
海開山
加藤明友の家臣 籔、菅、足立、毛利、金子の諸氏檀家と
する
|
甲賀郡志
|
〃
|
〃
|
天和3年5月
|
三十八社本殿再造(賢順法印代、大工富田清兵衛宗次と
あり)
|
三十八社 由緒書
|
1685
|
〃
|
貞享2年
|
松尾芭蕉水口に来て 「命二つ 中に生けたる 桜かな」を
吟ず
|
水口町志
|
1686
|
〃
|
貞享3年
|
能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)僧見達再建する
|
水口町志
|
1687
|
東山
|
貞享4年
|
誓演山西光寺(浄土宗阿弥陀如来) 再興(菅原氏美濃部
彦左衛門か)
|
水口町志
|
1692
|
〃
|
元禄5年頃
|
瑞岩寺(黄檗宗十一面観世音菩薩) 大眉禅師 中興す
|
水口町志
|
1694
|
〃
|
元禄7年
|
水口宿 助郷の制定める (東伝馬36疋)
|
水口町志
|
1709 〜
|
〃
|
寛永年間
|
山村天神(天押穗耳命、菅原道真)のト石(郡志によれば祭
神は少彦名命、菅原道真)
|
甲賀の歳月
|
1712
|
中御門
|
正徳2年
|
上山城主 山村信濃守良道から加藤和泉守嘉矩の移封に
より廃城となる
|
甲賀郡志
|
1713
|
〃
|
正徳3年
|
良徳寺再興さる
|
水口町志
|
1716
|
〃
|
享保元年
|
国王山 清福寺(浄土宗阿弥陀如来) 再興
|
水口町志
|
1726
|
〃
|
享保11年
|
旭照山東光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎恵立再建
|
水口町志
|
1728
|
〃
|
享保13年
|
春岬山慈光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎良哲再建
|
甲賀郡志
|
1733
|
〃
|
享保18年
|
水口祭に曳山出る
|
水口町志 |
1749
|
桃園
|
寛延2年5月
|
寺小屋 創業
・八田村 西栄寺 男10人 読書 〜明治7年迄
・春日村 西田忠兵衛 男18人、女2人 読書と算術
〜明治6年迄
・下山村 九品寺 男16人、女3人 読書と習字
天保2年〜明治7年迄
・伴中山村 梅田金兵衛 男16人、女4人 読書
〜明治7年迄
・山 村 善勝寺 男27人、女3人 読書
〜明治7年迄
|
甲賀の歳月
|
1752
|
桃園
|
宝暦2年9月
|
法念寺(真宗)に本堂建立の棟札あり
|
水口町志
|
1758
|
桃園
|
宝暦8年
|
八田村と岩根、下田両村との山林争解決される
僧 円随・・・(白揚軒蓮車)良徳寺に住し、俳諧、俳画、医
者に通ず天保5年11月没 77歳
「赤鯛や長百姓のくすり喰」
「山路きてうれしや秋の雨やど
り」
|
水口町志
|
1781〜
|
光格
|
天明年間
|
山村神社の由緒書持出 別當寺僧
|
水口町志
|
a |
a |
(江戸時代後期)
|
a |
a |
1814
|
光格
|
文化10年
|
梅田金兵衛・・・伴中山に生まれ庄屋となり、家塾を開き子
弟を教え、後詩歌、俳道に励む
明治22年6月11日76才にて没す。平尾山に領徳碑建つ
|
水口町志
|
1824
|
仁孝
|
文政7年
|
城之山善勝寺(浄土宗阿弥陀如来) 再建
|
寺院明細帳
|
1842
|
〃
|
天保13年10月
|
甲賀一揆起るー天保義民蜂起し横田川に集り野洲郡に入
る
|
水口町志
|
1843
|
〃
|
天保14年
|
伴中山村 百姓伝三郎 百姓、清八 中追放の罪状を
受ける
下山村 百姓伊藏 他 52人 過料銭八貫文
下山村 百姓甚六 百姓源右エ門 過料銭三貫文
|
甲賀の歳月
|
1856
|
孝明
|
安政3年
|
宮治朔之進・・・八田代官となり善政をしく。明治7年8月1
5日 82才にて没す
頌徳碑 西栄寺境内に建立
|
水口町志
|
1866
|
〃
|
慶応2年
|
水口城主加藤明実討幕戦争に京都勤王方として東征の先
鋒をつとめる
|
水口町志
|
1867
|
〃
|
慶応3年
|
大政奉還 明治維新となる
|
水口町志
|
a |
a |
(近 代)
|
a |
a |
1868
|
明治
|
明治元年
|
神仏分離令出る(廃仏毀釈運動起る) 王政復古布告
|
日本史年表
|
明治天皇東幸 水口にて小休あり
|
水口町志
|
日吉神社 八田神社 共に改称
|
水口町志
|
1869
|
〃
|
明治2年
|
版籍(水口藩2万5千石)奉還 加藤明実 水口藩知事とな
る
|
水口町志
|
1870
|
〃
|
明治3年
|
平民に苗字を認める
|
水口町志
|
1871
|
〃
|
明治4年
|
廃藩置県により、水口県と称し、同年11月大津県に属する
|
水口町志
|
1872
|
〃
|
明治5年
|
滋賀県に所属する 8月に太政官布告により学制頒布 太
陽歴採用
|
水口町志
|
1873
|
〃
|
明治6年
|
徴兵令公布 地租改正 区長 戸長をおく
|
水口町志
|
1873
|
〃
|
明治6年
|
余力学校・・・伴中山村、下山村 伴中山智禅院
敬心学校・・・春日村、八田村 春日渓蓮寺、八田西栄寺
|
学校沿革誌
|
1874
|
〃
|
明治7年7月
|
行文学校・・・山村、松尾村 山村神社内
|
甲賀郡志
|
明治7年10月
|
畑村を春日村と改称
|
a |
1875
|
〃
|
明治8年7月
|
上村、堂村、下村を山村と改称
|
a |
明治8年9月
|
藤木神社、日枝神社、八坂神社を八幡宮境内へ合祀し春
日神社と改称する
|
a |
1879
|
〃
|
明治12年7月
|
郡制を復活し、甲賀郡役所を開庁さる
|
水口町志
|
1880
|
〃
|
明治13年7月
|
余力学校より分離して下山学校開かれる
当時の人口と戸数
八田62戸 310人 春日98戸 503人 下山73戸
353人
伴中山119戸 641人 山119戸 568人
計471戸 2,375人
|
滋賀県 特産誌
|
1886
|
〃
|
明治19年4月
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春日尋常小学校・・・(小学校令で尋常科4年、高等科4年
を定める)
通学区域は八田、春日、下山、伴中山、山村
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明治19年9月
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高等科甲賀小学校の創立(旧水口公民館)水口町外97ヶ
村組合立甲賀学校と称した
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水口町志
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1888
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〃
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明治21年4月
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伴谿尋常小学校と改称 「君が代」国歌に制定(水口町志)
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学校沿革誌
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1889
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〃
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明治22年
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大日本帝國憲法発布
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日本史年表
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明治22年4月
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市町村制施行により伴谷村に改称(以前は春日村他5ヶ村
で下田村を含んでいたが、この時八田、春日、下山、伴山
中、山で一村となる)
初代村長 西田忠兵衛氏
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水口町志
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1890
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明治
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明治23年10月
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教育勅語発布
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日本史年表
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1892
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〃
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明治25年
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伴谷村夜学会
上山尋常小学校、中山尋常小学校、春日尋常小学校に改
称さる
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学校沿革誌
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1893
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〃
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明治26年8月
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伴谷青年会発足 15才〜30才迄義務制
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水口町志
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1894
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〃
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明治27年
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日清戦争開始される
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水口町志
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1898
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〃
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明治31年4月
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初代郡会議員に吉田冨吉氏 (その後の郡会議員に西田
忠平、宮路茂兵衛、菊田庄兵衛、中尾象一、中島馬吉、西
田忠兵衛各氏)
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水口町志
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1904
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〃
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明治37年2月
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伴谷尋常小学校新築さる 大字伴中山字彼岸田2229番地2268番地
敷地面積 4反3畝10歩 買入金額 ¥1285円39銭
校舎建築 明治35年4月起工 明治37年2月16日竣工式
建坪数 241坪
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学校沿革誌
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1904
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〃
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明治37年
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日露戦争起る(水口町志) 工費計金¥9,557円47銭2
厘也
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1905
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明治
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明治38年
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伴谷村婦人教育会創立さる
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水口町志
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1906
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〃
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明治39年4月
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伴谷裁縫学校 修業年限3ヵ年開校さる
当時の職別戸数と人口
農家451戸 工業8戸 商業14戸 雑常7戸 教員3戸
僧侶10個 日雇1戸 計494戸 人口2,889人
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滋賀県 物産誌
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1910
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〃
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明治43年2月
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優良団体(模範村)として内務省より表彰を受ける
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甲賀郡志
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1911
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〃
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明治44年
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村役場、農業組合事務所2ヶ所に電話開通さる
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ふる里下山
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明治44年9月
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中井清吉氏 県会議員に当選 (明治44.9〜大正4.9迄)
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水口町志
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1913
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大正
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大正2年
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伴谷尋常高等小学校と改称
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水口町志
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各家庭へ電灯つく
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ふる里下山
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1914
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〃
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大正3年
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第一次世界大戦始まる
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日本史年表
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1919
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〃
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大正8年
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滋賀県立水口中学校開講(水口農林学校に併設)
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水口町志
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1924
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〃
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大正13年
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滋賀県水口高等女学校と改称(旧称水口町立水口実科高
等女学校)
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水口町志
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1928
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昭和
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昭和3年
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昭和天皇即位の大札を行なう
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日本史年表
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普選による第一回総選挙実施さる
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水口町志
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1931
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〃
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昭和6年
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満州事変起る
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日本史年表
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1935
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〃
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昭和10年4月
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青年学校令施行に基づき伴谷青年学校開校 S14年義
務制となる
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伴谷教育
百年の歩み
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1937
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〃
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昭和12年7月
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日華事変起る
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日本史年表
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1940
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〃
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昭和15年
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皇紀二千六百年記念事業 果樹園造成
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伴谷教育
百年の歩み
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1941
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〃
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昭和16年4月
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伴谷国民学校と改称
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伴谷教育
百年の歩み
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昭和16年12月
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太平洋戦争開始
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日本史年表
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1944
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〃
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昭和19年
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集団疎開児童を受け入れ、大阪津守区民学校児童73名
共学する
農耕兵約60名駐屯
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伴谷教育
百年の歩み
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1945
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〃
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昭和20年8月
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ポッダム宣言受諾 終戦(敗戦)となる
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日本史年表
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1946
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〃
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昭和21年
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農地改革実施される。日本国憲法発布
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日本史年表
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1947
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〃
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昭和22年
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学校教育法による六・三制の誕生 教育基本法
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日本史年表
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伴谷小学校と改称 修業年限6年
水口中学校と改称 修業年限3年
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伴谷教育
百年の歩み
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1948
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〃
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昭和23年
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農業協同組合設置される
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水口町志
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1951
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〃
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昭和26年
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昭和天皇滋賀県下巡覧水口中学校校庭に行幸
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水口町志
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1952
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〃
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昭和27年
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思ひ川改修工事下山字柳瀬地区より始まる
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a |
1955
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〃
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昭和30年
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町村合併促進法により解消 新生水口町誕生
(伴谷村、柏木村、水口町、貴生川町、4ヶ町村合併
による)
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水口町志
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1960
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〃
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昭和35年
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上水道完成 各家庭に送水さる
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水口町志
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1967
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〃
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昭和42年12月
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伴谷小学校校舎火災にあう
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伴谷教育
百年の歩み
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1979
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〃
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昭和54年
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思ひ川改修工事竣工
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1983
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〃
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昭和58年
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山村神社の由緒書発見 三十八社より
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天神社 由緒書
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1994
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平成
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平成6年
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山村神社の由緒書の覆刻奉納 山村神社
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天神社 由緒書
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2003
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〃
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平成15年
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伴谷東小学校新設
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水口町志
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