伴中山の歴史年表・ 参考【水口町暦史年表・伴谷の歴史年表】

西 暦

天皇

時代年号

主  要  事  項

出 典

a

a

(縄文時代)

a

a

a

a

a

(伝承)伊邪那岐大神「故其伊邪那岐大神者坐淡海之多
          賀也」天神七代にして多賀大社由緒

古事記

a

a

(弥生時代)

a

a

a

a

 

a

a

a

a

(古墳時代)

a

a

316

垂仁

垂仁天皇4年 (伝承)倭姫命 神鏡を奉じて日雲宮(五十鈴神社か)に斎
         するという
日本書紀

337

垂仁天皇25年

(伝承)大水口宿禰、水口神社祭神で穂積臣の祖 淡海川 
          枯姫の縁により当地開拓の神

a

a

(大和時代)

a

a

552

欽明

欽明天皇7年12月

佛教伝来・・・ 538年佛教公伝百済聖明王伝像を伝える

上宮緊続法王帝説

584

敏達

敏達天皇13年

(伝承)
甲賀村主・・・ 阿智王十七県の民を率いて帰化し、近江 
                    等5国に分置し郡司を務む
鹿 深 臣 ・・・ 甲賀臣、甲可臣乙磨(正倉院文書)
                    甲賀公是茂(天正10年追捕使に任じられた
                    帰化人)甲賀郡司を務む
山 直 郷 ・・・  (伴谷、岩根、柏木、大野) 挟々城山君の
                    一族山直氏が統括した

a

坂上系譜

敏達紀

朝野群載

近江与地志略

a

a

奈良時代前期)

a

a

667

天智

白鳳6年3月

志賀の都(大津の宮)遷都

日本書紀

671

白鳳10年

漏刻により鐘鼓を打ち時刻報知
罐子塚古墳(下山字引坊)甲可臣一族の墓噴か

水口町志

672

弘文  天武

天武天皇元年

壬申の乱・・・ 大海人皇子東国から伊賀積植(拓植)の山
                     口で鹿深(甲賀)より越えて来た高市皇子
                     と合し、大山を越えて伊勢の鈴鹿に行く記
                     事あり

日本書紀

a

a

(奈良時代後期)

a

a

782

桓武

延暦元年

思ひ川・・・ 桓武締名付く「近江がた岩根の東への思ひ
                 川、川上もなし、川下もなし」
                 「近江なる人と松尾の思ひ川、川上もなし、
                下もなし」

甲賀の歳月

783

延暦2年8月

憎慶俊天狗堂(天台宗)地蔵堂(地蔵菩薩)を勧請(春日
神社)

寺院明細帳

788

延暦7年

憎最澄比叡山に延暦寺創立

日本史年表

a

a

(平安時代後期)

a

a

851

文徳

仁寿元年

山村神社内の観世音菩薩創設 西観法師作

天神社 由緒書

901

醍醐

延喜元年

菅原道真、大宰府に左遷さる

日本史年表

四男敦茂、美濃部郷に流寓、郷長兵左衛門為親の女婿と
なり子菅三郎直茂は美濃部郷の祖となる

水口町志

948

村上

天暦2年11月

十善神社(大山昨命)勧請(日吉神社)

水口町志

949

天暦3年

山村神社内の社殿造営  是兼(直茂公の子息)作

天神社 由緒書

957

天徳元年

伴宿弥資守早俊(伴氏の祖)甲賀郡長となる  〜 959

甲賀郡志

970

円融

天禄元年6月

祇園午頭天王(素盛鳴命)勧請(春日神社)

甲賀郡志

976

貞元元年

憎良源、中山寺、白山寺(木井寺)草創

水口町志

三十八処大明神(国狭槌命瓊々杵尊)中山寺守護社とし
て勧請(三十八社)

天神社 由緒書

神珠山大明寺智禅院(天台宗地蔵菩薩)憎良源の開基

水口町志

重要文化財(本尊地蔵菩薩半跏像 1.35m 寄木造鎌倉時
代作桧材

水口町志

1018

後一条

寛仁2年4月

両山王(瓊々杵命、大己貴命)勧請(八田神社)

水口町志

1045

後冷泉

寛徳2年

柏木荘に入る(北脇、宇田、植、酒人、泉、名坂、林口、松
尾、中山、下山、春日、山、八田、上村)

甲賀の歳月

1072

後三条

延久4年4月

東西山王(天児屋根命、玉依姫命)を勧請(春日神社)

水口町志

1114

鳥羽

永久2年7月

円城寺領(刑部丞源義光は山村柏木の2郷を円城寺金光
院に仏鈎灯油所として寄進する)

甲賀郡志

駒の口・・・(野洲川北部の栢木山村牧と八馬を主とする放
牧地で朝廷に献馬した)

水口町志

1164

二条

長寛2年

神宮領となる

神宮雑誌

栢木御厨新立せらる。五郷とは1.山村三郷(上山郷山) 
2.中山郷(中山、春日) 3.下山郷 (下山) 4.栢木郷(宇田、名坂、松尾、北輪) 5.酒人郷(酒、泉、植)
峯道・・・山中文書中の心光譲状に弁房道俊への譲件記
載あり

水口町志

a

a

(鎌倉時代)

a

a

1216

順徳

建保4年

山中俊道 子俊信に山中村地頭職、上山村友行名同下司
職を譲る

水口町志

1309

花園

延慶2年11月

伴太郎左衛門景秀(播磨守とも)下山城を築き、畑村、中
山村、下山村を領す
この時代以降中山村を伴中山村と改称、伴の郷、又、伴
の谷と云う

甲賀郡志

1317

文保元年8月

八幡宮(応神天皇)勧請 (春日神社)

水口町志

a

a

(南北朝時代)

a

a

1334

後醍醐

建武元年8月

上山村観音寺別当職敷地山林荒野を山中斉公道俊宛に
安堵する

水口町志

1335

建武2年7月

座禅坊名老町惣荘検断職料として橘六頼俊に安堵する

水口町志

1336

建武3年

橘道俊 山村の名主職となる

日本古城 友の会

1337

建武4年

清福寺に宝篋印塔建立(建武4年の刻印あり)

清福寺

伴大隈守資景足利尊氏に属し、畑村城(伴中山)を築く

日本古城 友の会

1357

後村上

延文2年

橘道俊 上山村地頭職、領家職を佐々木六角氏頼より預

水口町志

1374

長慶

応安7年12月

三十八社大明神本社中興再建の棟札(大工林口兵衛丸
末守とあり)

三十八社 由緒書

a

a

(室町時代)

a

a

1416

稱光

応永23年

能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)伴氏の菩提寺として
僧隆尭法印の弟子尭誉隥真上人創建

甲賀郡志

1431

後花園

永享3年11月

八田村を岩根郷と定む

甲賀郡志

1444

文安元年頃

清治房 良徳寺の前身草庵を結ぶ

水口町志

1480

後土御門

文明10年頃

東照山西養寺(浄土宗阿弥陀如来)を第一世尭誉隆阿開

水口町志

1487

長享元年10月

長享の乱起る  甲賀五十三家 戦功あり

甲賀郡志

  ・八田勘助(左近介とも云う)京都真如寺正賑院の下司と
    して居住六角高頼の旗下、八田館に住す・上山新八郎、
    上山城に在り六角高頼に属し、正徳2年迄居住
  ・中山民部丞、伴氏の一族で長享2〜3年に中山城を築
    き、六角高頼に属す 
  ・中山民部丞、伴氏の一族で長享2〜3年に中山城を築
    き、六角高頼に属す
  ・伴 左京介資頼・・・下山城に在り、高頼に属す。二十一
    士にたたえられる

日本古城 友の会

1521

後柏原

大永元年

旭照山東光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎隆阿開基

水口町志

1522

大永2年

清治山良徳寺(浄土宗阿弥陀如来)憎隆真開基

水口町志

1529

後奈良

亨禄2年9月

仏法山溪蓮寺(浄土宗阿弥陀如来)憎応誉創立

水口町志

1531

亨禄4年3月

上山城(築城持の瓦に年号銘入あり)上山新八郎の子、上
山徳三郎二より改築

江源武鑑

1532

天文元年

津山城(下山字細佐にあり)  津山左京資玉の居城か

ふる里下山

1540

後奈良

天文9年

上山城主 上山徳三郎の子上山伝八郎宗秀が田中伝八郎
宗秀と改名した。近江の15勇士の一人で、伊庭城におい
て演武開催された13代将軍足利義時より太刀一振の褒
美と従四位を賜る

江源武鑑

1545

天文14年

杉本山法念寺(真宗、阿弥陀如来)相休(杉本左京)小庵
を建てる

水口町志

1556

弘治2年

山村神社の由緒書  大原右近助永栄作

天神社  由緒書

1566

正親町

永禄9年

伴、山中、美濃部、三方起床請文を作り、地下の治安維持
をはかる

水口町志

1570

元亀元年

白山寺(木中寺)信長の兵火に罹災滅する(鎮守白山権現
社を東谷の高地に遷し、寛永の頃廃滅 字白山の水田中
に大梵鐘埋没の伝承あり)
上山城信長に攻められ落城する
伴太郎左衛門資家織田信長に仕える

甲賀郡志

a

a

(桃山時代)

a

a

1573

天正元年

誓演山西光寺(浄土宗阿弥陀如来)当智院殿本誉誓演大
姉開基

水口町志

1574

天正2年

仏法山溪蓮寺(浄土宗阿弥陀如来)憎僧誉中興

寺院明細帳

1582

正親町

天正10年6月

本能寺の変にて伴資家信長と共に戦死し、下山城廃滅する

日本古城 友の会

1585

天正13年

中村一氏、大岡山に岡山城を築き城主となる この頃現在
の水口市街の原型ほぼできる

水口町志

1600

後陽成

慶長5年

関ヶ原の戦後岡山落城(城主長束正家の室、栄子姫思ひ
川沿いに北脇へ逃る)
伴上野守資光 朝国、八田を領す

甲賀郡志

1602

慶長7年

天台宗 智禅院 領道寺教仙坊再興す

甲賀郡志

1610

慶長15年

城之山善勝寺(浄土宗阿弥陀如来)第一世進誉開基

水口町志

a

a

(江戸時代前期)

a

a

1617

後水尾

元和3年

国領半兵衛八田村を領す(石高335石6斗2升とある)

甲賀郡志

1624

寛永元年

上山村を分けて上村、下村とする

甲賀郡志

1632

寛永9年

小堀遠州 水口碧水城を築く

水口町志

1655

後西

明暦元年

八田焼はじまる(宮治伊兵衛 京で窯業を習い陶器を焼く。
武藤佐兵衛、宮治法兵衛と共に 高松山の土を使う。最盛
期23戸あり。)

甲賀郡志

1669

霊元

寛文9年

人別改帳作成さる

水口町志

1671

寛文11年

安如山西栄寺(浄土宗阿弥陀如来)僧 鏡誉存長大徳が再興する
     ・重要文化財  阿弥陀如来 恵心僧都作 藤原様式
       一木造0.53M
       薬師如来坐像 鎌倉時代 桧寄木造 0.52M

水口町志

1675

延宝3年

上山郷上村を分けて堂村とする

甲賀郡志

1678

延宝6年

宮治孫兵衛八田代官となる

 

1682

天和2年

加藤内藏助明友石見国吉永より水口へ転封 水口藩政始
まる

水口町志

a

a

(江戸時代中期)

a

a

1683

 

天和3年

瑞竜山玉台寺(黄檗宗万福寺派十一面観世音菩薩)憎天
海開山
加藤明友の家臣 籔、菅、足立、毛利、金子の諸氏檀家と
する

甲賀郡志

天和3年5月

三十八社本殿再造(賢順法印代、大工富田清兵衛宗次と
あり)

三十八社 由緒書

1685

貞享2年

松尾芭蕉水口に来て 「命二つ 中に生けたる 桜かな」を
吟ず

水口町志

1686

貞享3年

能徳山九品寺(浄土宗阿弥陀如来)僧見達再建する

水口町志

1687

東山

貞享4年

誓演山西光寺(浄土宗阿弥陀如来) 再興(菅原氏美濃部
彦左衛門か)

水口町志

1692

元禄5年頃

瑞岩寺(黄檗宗十一面観世音菩薩) 大眉禅師 中興す

水口町志

1694

元禄7年

水口宿 助郷の制定める (東伝馬36疋)

水口町志

1709  〜

寛永年間

山村天神(天押穗耳命、菅原道真)のト石(郡志によれば
神は少彦名命、菅原道真)

甲賀の歳月

1712

中御門

正徳2年

上山城主 山村信濃守良道から加藤和泉守嘉矩の移封に
より廃城となる

甲賀郡志

1713

正徳3年

良徳寺再興さる

水口町志

1716

享保元年

国王山 清福寺(浄土宗阿弥陀如来) 再興

水口町志

1726

享保11年

旭照山東光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎恵立再建

水口町志

1728

享保13年

春岬山慈光寺(浄土宗、阿弥陀如来)憎良哲再建

甲賀郡志

1733

享保18年

水口祭に曳山出る

水口町志

1749

桃園

寛延2年5月

寺小屋 創業 
  ・八田村   西栄寺  男10人  読書  〜明治7年迄
  ・春日村   西田忠兵衛 男18人、女2人  読書と算術         〜明治6年迄
  ・下山村   九品寺  男16人、女3人  読書と習字
                  天保2年〜明治7年迄
  ・伴中山村   梅田金兵衛 男16人、女4人  読書          〜明治7年迄
  ・山 村  善勝寺    男27人、女3人  読書        〜明治7年迄

甲賀の歳月

1752

桃園

宝暦2年9月

法念寺(真宗)に本堂建立の棟札あり

水口町志

1758

桃園

宝暦8年

八田村と岩根、下田両村との山林争解決される
僧 円随・・・(白揚軒蓮車)良徳寺に住し、俳諧、俳画、医
者に通ず天保5年11月没 77歳
「赤鯛や長百姓のくすり喰」 「山路きてうれしや秋の雨やど
り」

水口町志

1781〜

光格

天明年間

山村神社の由緒書持出 別當寺僧

水口町志

a

a

(江戸時代後期)

a

a

1814

光格

文化10年

梅田金兵衛・・・伴中山に生まれ庄屋となり、家塾を開き子
弟を教え、後詩歌、俳道に励む
明治22年6月11日76才にて没す。平尾山に領徳碑建つ

水口町志

1824

仁孝

文政7年

城之山善勝寺(浄土宗阿弥陀如来) 再建

寺院明細帳

1842

天保13年10月

甲賀一揆起るー天保義民蜂起し横田川に集り野洲郡に入

水口町志

1843

天保14年

伴中山村 百姓伝三郎  百姓、清八  中追放の罪状を
受ける
下山村   百姓伊藏 他 52人      過料銭八貫文
下山村   百姓甚六 百姓源右エ門   過料銭三貫文

甲賀の歳月

1856

孝明

安政3年

宮治朔之進・・・八田代官となり善政をしく。明治7年8月1
5日 82才にて没す
頌徳碑 西栄寺境内に建立

水口町志

1866

慶応2年

水口城主加藤明実討幕戦争に京都勤王方として東征の先
鋒をつとめる

水口町志

1867

慶応3年

大政奉還 明治維新となる

水口町志

a

a

(近  代)

a

a

1868

明治

明治元年

神仏分離令出る(廃仏毀釈運動起る) 王政復古布告

日本史年表

明治天皇東幸 水口にて小休あり

水口町志

日吉神社  八田神社  共に改称

水口町志

1869

明治2年

版籍(水口藩2万5千石)奉還 加藤明実 水口藩知事とな

水口町志

1870

明治3年

平民に苗字を認める

水口町志

1871

明治4年

廃藩置県により、水口県と称し、同年11月大津県に属する

水口町志

1872

明治5年

滋賀県に所属する 8月に太政官布告により学制頒布 太
陽歴採用

水口町志

1873

明治6年

徴兵令公布 地租改正 区長 戸長をおく

水口町志

1873

明治6年

余力学校・・・伴中山村、下山村  伴中山智禅院
敬心学校・・・春日村、八田村 春日渓蓮寺、八田西栄寺

学校沿革誌

1874

明治7年7月

行文学校・・・山村、松尾村     山村神社内

甲賀郡志

明治7年10月

畑村を春日村と改称

a

1875

明治8年7月

上村、堂村、下村を山村と改称

a

明治8年9月

藤木神社、日枝神社、八坂神社を八幡宮境内へ合祀し春
日神社と改称する

a

1879

明治12年7月

郡制を復活し、甲賀郡役所を開庁さる

水口町志

1880

明治13年7月

余力学校より分離して下山学校開かれる
当時の人口と戸数
      八田62戸 310人 春日98戸 503人 下山73戸 
      353人
      伴中山119戸 641人  山119戸 568人      
      計471戸 2,375人

滋賀県 特産誌

1886

明治19年4月

春日尋常小学校・・・(小学校令で尋常科4年、高等科4年
を定める)
通学区域は八田、春日、下山、伴中山、山村

a

明治19年9月

高等科甲賀小学校の創立(旧水口公民館)水口町外97ヶ
村組合立甲賀学校と称した

水口町志

1888

明治21年4月

伴谿尋常小学校と改称 「君が代」国歌に制定(水口町志)

学校沿革誌

1889

明治22年

大日本帝國憲法発布

日本史年表

明治22年4月

市町村制施行により伴谷村に改称(以前は春日村他5ヶ村
で下田村を含んでいたが、この時八田、春日、下山、伴山
中、山で一村となる)
初代村長 西田忠兵衛氏

水口町志

1890

明治

明治23年10月

教育勅語発布

日本史年表

1892

明治25年

伴谷村夜学会
上山尋常小学校、中山尋常小学校、春日尋常小学校に改
称さる

学校沿革誌

1893

明治26年8月

伴谷青年会発足 15才〜30才迄義務制

水口町志

1894

明治27年

日清戦争開始される

水口町志

1898

明治31年4月

初代郡会議員に吉田冨吉氏 (その後の郡会議員に西田
忠平、宮路茂兵衛、菊田庄兵衛、中尾象一、中島馬吉、西
田忠兵衛各氏)

水口町志

1904

明治37年2月

伴谷尋常小学校新築さる 大字伴中山字彼岸田2229番地2268番地
敷地面積 4反3畝10歩  買入金額 ¥1285円39銭
校舎建築 明治35年4月起工  明治37年2月16日竣工式             建坪数 241坪

学校沿革誌

1904

明治37年 

日露戦争起る(水口町志) 工費計金¥9,557円47銭2
厘也

 

1905

明治

明治38年 

伴谷村婦人教育会創立さる

水口町志

1906

明治39年4月

伴谷裁縫学校 修業年限3ヵ年開校さる
当時の職別戸数と人口
      農家451戸 工業8戸 商業14戸 雑常7戸 教員3戸
      僧侶10個 日雇1戸   計494戸  人口2,889人

滋賀県 物産誌

1910

明治43年2月

優良団体(模範村)として内務省より表彰を受ける

甲賀郡志

1911

明治44年

村役場、農業組合事務所2ヶ所に電話開通さる

ふる里下山

明治44年9月

中井清吉氏 県会議員に当選 (明治44.9〜大正4.9迄)

水口町志

1913

大正

大正2年

伴谷尋常高等小学校と改称

水口町志

各家庭へ電灯つく

ふる里下山

1914

大正3年

第一次世界大戦始まる

日本史年表

1919

大正8年

滋賀県立水口中学校開講(水口農林学校に併設)

水口町志

1924

大正13年

滋賀県水口高等女学校と改称(旧称水口町立水口実科高
等女学校)

水口町志

1928

昭和

昭和3年

昭和天皇即位の大札を行なう

日本史年表

普選による第一回総選挙実施さる

水口町志

1931

昭和6年

満州事変起る

日本史年表

1935

昭和10年4月

青年学校令施行に基づき伴谷青年学校開校  S14年義
務制となる

伴谷教育  
百年の歩み

1937

昭和12年7月

日華事変起る

日本史年表

1940

昭和15年

皇紀二千六百年記念事業 果樹園造成

伴谷教育  
百年の歩み

1941

昭和16年4月

伴谷国民学校と改称

伴谷教育  
百年の歩み

昭和16年12月

太平洋戦争開始

日本史年表

1944

昭和19年

集団疎開児童を受け入れ、大阪津守区民学校児童73名
共学する
農耕兵約60名駐屯

伴谷教育  
百年の歩み

1945

昭和20年8月

ポッダム宣言受諾  終戦(敗戦)となる

日本史年表

1946

昭和21年

農地改革実施される。日本国憲法発布

日本史年表

1947

昭和22年

学校教育法による六・三制の誕生  教育基本法

日本史年表

伴谷小学校と改称  修業年限6年
水口中学校と改称  修業年限3年

伴谷教育  
百年の歩み

1948

昭和23年

農業協同組合設置される

水口町志

1951

昭和26年

昭和天皇滋賀県下巡覧水口中学校校庭に行幸

水口町志

1952

昭和27年

思ひ川改修工事下山字柳瀬地区より始まる

a

1955

昭和30年

町村合併促進法により解消  新生水口町誕生
       (伴谷村、柏木村、水口町、貴生川町、4ヶ町村合併
         による)

水口町志

1960

昭和35年

上水道完成 各家庭に送水さる

水口町志

1967

昭和42年12月

伴谷小学校校舎火災にあう

伴谷教育  
百年の歩み

1979

昭和54年

思ひ川改修工事竣工

1983

昭和58年

山村神社の由緒書発見  三十八社より

天神社  由緒書

1994

平成

平成6年

山村神社の由緒書の覆刻奉納  山村神社

天神社  由緒書

2003

平成15年

伴谷東小学校新設

水口町志

         
a a a

a^ページトップに戻る

a