充たし、緑に包まれ、其の上都会にも負けない今日の快適な生活が営まれる様になった。
農村下水工事着工、直前に幸いにも国の補助対象がかわり、山・伴中山・下山地域は工業
下水に組み込まれ、春日・八田地区の様に地域での下水処理の管理を免れ、是も政治的な
力の御陰を被った事も確かである。当時は環境の話を幾らされても聞く耳を持たず、ただ第
二次構造改善事業に対する不満から、また、農業を取り巻く悪環境から、再三事業の諦め
も何度か有ったが地区百年の大計が実り、明治9年測量登記、地権の確保より120年目
に、ご先祖様より受け継いだ農地が平面化し、新しい地番に生まれ変わり、子々孫々まで美
田を伝える事が出来たのは喜びの極みである。
4.伴中山圃場整備事業の経過及び内容
昭和56年、さつきが丘の工業団地の開発、買収契約の調印された時点で、用水ため池が正
保地域で無くなり、灌漑用水の確保の為にも是非圃場整備事業の計画、指導、補助、予算面
での配慮を町当局に要望し、その後歴代の区長の申し送り事項となる。その後何度か圃場整
備の話はあったが、機が熟せず昭和60年県並びに町土地改良課より未開発の土地について
の、県営圃場整備の利点について説明がなされ集団化による無駄が省け、環境を含めた村
づくりの基礎が出来、補助率が高いこと等の度重なる説明会の中で、この際農村発展の為に
は基盤整備の必要性を感じるようになり、その結果地権者に対するアンケートを実施し、区民
の心底を知ることに勤めた。然し何百年来の先祖伝来の所有地を変える事業については、個
人の欲望が交差し、かなりの抵抗があったが、話し合いにより百年の大計に向って地権者の
同意を得ることが出来た。そうして色々の手続きを経て、昭和61年12月1日、先ず山地区に於
いて起工式が行われ工事中の安全と1日も早い竣工を祈念した。
伴中山、上地区に於いては一部如何しても同意の得られない方が有ったが、昭和61年2月16
日区長、改良組合長主催の推進委員会が開かれ、続いて同28日第2回を開催、同3月15日県
営圃場整備事業の推進に係る事の確認覚書を区長より町長に提出した。しかし地域としてそ
の後8回にも及ぶ地権者に対する説明会を得て漸く平成3年1月24日正式に願書を提出、3月
14日委員の選出に漕ぎ着け、その後も20数回に及ぶ打ち合わせを経て平成4年9月11日工事
の無事を祈り起工式を執り行った。
その後は工事も順調に進み遂に世紀の大事業が平成8年3月竣工した。
・正保・北山
(1)事業区域
水口町伴中山 正保・北山
(2)区域面積
857.00a
(3)事業量
整地工・道路工・用水路工・暗渠排水工・測量・換地一式
(4)総事業費
125,986,930円 地元負担28.347.060円
(5)事業期間
昭和61年2月〜平成8年3月。
(6)事業負担区分
工事費22.5% 事務費25.0%
(国費)
45.0%
50.0%
(県費)
32.5%
25.0%
(地元)
22.5%
25.0%
(7)10a当り工事費=1,469,780円 地元負担≒330,700円
・中切・六反田・杭原
(1)事業区域
水口町伴中山 中切・六反田・杭原
(2)区域面積
727.58a
(3)事業量
整地工・道路工・用水路工・暗渠排水工・測量・換地一式
(4)総事業費
135,197,424円 地元負担=30,419,420円
(5)事業期間
昭和61年2月〜平成8年3月。
(6)10a当り工事費≒1,858,180円
地元負担≒418,100円
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