5.伴中山区の教育 

 1.伴中山区の教育 不詳〜1874年(明治7年)
  梅田金兵衛に代表される寺子屋による教育が実施される(読書中心)。
  甲賀郡志には
  「伴中山の人にして家世々農を業とし父祖より相継ぎて庄屋となり、里民悦服治績大に挙がれ
  り。金兵衛常に邑に不学の徒多きを慨き、自ら家塾を開きて教授すること20余年、明治維新後
  学制発布せられて郷校起こるや年来の希望達せりとして塾を閉じ、詩歌俳を以て老を養い明
  治22年6月11日病んで死す。享年76才 資性篤実温厚頗る学を好み風教を維持するを以て自
  任せりという。」永年伴中山の教育生みの家として伴中山学区の宝庫として保存されてきた梅
  田金兵衛氏宅も多年の風雪にいたみがひどく今日新築再建の止むなきに至った。
  なお墓地に建られた石碑には次のような業蹟がきざまれている。 

 
        金兵衛翁 頌徳碑

【頌徳碑】
  翁諱嘉寿通称金兵衛、姓梅田氏。近江伴谷邑
  人。家世業農。翁資性篤厚好学。慶応為里正
  民悦服。翁常慨邑多不学之徒自開家塾聚徒教
  授二十余年如一日。及維新後学制発布郷校起
  自謂吾望達矣、謝徒老千家。明治二十二年六
  月十一日病歿享年七十有六。葬於平尾山下。
  後翁門人与謀建碑嘱余銘。余亦従事於教育者
  同賛其美挙且感翁至誠入人之深。乃序而銘之
  銘日寡欲保身常謀公益邑務有暇味通之蹟聚徒
  講経循々誘掖 二十余年 教長是力一
  朝塾不哀惜 門人建碑 永懐
  其徳 明治二十八年九月 天雷 金沢正文撰

 経過
  ・1874年(明治7年)
   伴中山、下山村連合して余力学校を智禅院の庫裡を仮用して開放される。
  ・1880年(明治13年)
   余力学校より下山学区分離して下山学校を設立される

  ・1886年(明治19年4月)
  春日村に春日尋常小学校が置かれる。
  通学区域は、八田、春日、伴中山、山、下山。 
     春日村に小学校簡易化が置かれる。通学区域
     は、八田、春日、伴中山、山、下山。    
    ・明治20年1月10日
      春日尋常小学校の支校が伴中山に置かれる。
    ・明治21年
      春日尋常小学校が伴谷尋常小学校と改称される。
    ・明治22年
    伴谷尋常小学校の本校が伴中山に置かれる。

 
         智禅院(山門より本堂)

    ・明治23年11月 小学校令改正
      小学校簡易科が廃止される。尋常小学校が三
      校に決定される。  
      中山尋常小学校(伴中山)春日尋常小学校(春
      日)上山尋常小学校(山)
    ・明治34年
      尋常小学校三校が廃止される。
      中山尋常小学校が伴谷小学校の本校となる。
      春日、上山分教場が置かれる。
    ・明治36年3月16日 現在地に新校舎の建築
      が開始される。新校舎建築位置で当時、非常
      にもめたが、八田・山村・下山の各最端から測
      量した中央地点(八田、下山、山からの同距離
      地点)を最適地としてまとまり現在地に建設され
      ることとなった。


                   中山尋常小学校

      従来一村ニ二校ヲ設ケ維持シ来リシモ時世ノ変遷ニ従ヒ教務ノ統一ト経
    ノ順調ヲ顧慮シテ一村一校トナシ即チ春日、上山ノ両分教場ヲ廃シテ元中
    山尋常小学校ヲ本校トシ更ニ改メテ伴谷尋常小学校ト改称シ而シテ明治
    36年2月村ノ中央ナル大字伴中山ニ於テ新タニ位置ヲ定メ校舎ヲ建築セ
    ントスルニ方リ通学ノ不便ヲ口ニシテ茲ニ村内300戸以上ノ連署ヲ以テ
    異議ヲ唱フルニ依リ経営上一時障害ヲ来シ、困難ノ状アリシモ好機逸スヘ
    カラサルモノアリ百万意思ノ流通ヲ謀リ終ニ協同一致ノ結果 々位置ヲ確
    定シテ明治35年新築ノ工ヲ起シ37年2月、経費9770円多数ノ奉使人夫
    ヲ得テ竣工ヲ告ケタリ。

     ・明治37年2月5日 新校舎竣工春日、上山分教場が廃止され、本校に全児童が収容され
       る。一村一校が定まる。
     ・大正 2年 4月
       伴谷尋常小学校に高等科2年が併設される。
       水口高等小学校より離脱伴谷尋常高等小学校となる。
     ・大正 5年
       伴谷尋常高等小学校新校舎一棟及び裁縫室新築される。
     ・大正14年
       伴谷尋常高等小学校の運動場拡張工事完成
     ・昭和 3年
       伴谷尋常高等小学校講堂、家事室、宿直室新築される。
     ・昭和10年
       青年学校始まる。
     ・昭和16年
       小学校の名称が「伴谷国民学校」と改称される。初等科6年  高等科2年
     ・昭和19年
       大阪津守国民学校児童73名集団疎開し、共学する。
     ・昭和20年 8月
       終戦、男女共学が開始され現在に至る。

  2.伴中山の公民館
     ・2代目公民館  昭和29年竣工。建築資料
       等不詳。
     ・3代目公民館
       平成10年6月 1日。工期 着手
      平成11年3月21日。竣工
    ・工事費   43,575,000円
     ・木造平屋建て床面積  326u 
     ・玄関面積       14.5u

 
  
             2代目公民館


        3代目現在の公民館


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