1.伴中山城
大字伴中山字城下
富田与平氏宅の北山、土盛高3m、内面積2,000u。現在城下、前の県道は堀跡を埋め
立て道幅を拡幅されたものである。
城主、伴 播磨守。伴 左京亮。伴
太郎左衛門尉資家、資家は本能寺の変で信長と共に討ち
死にし、遺子資則安土城下に移住し、天正14年豊臣秀次八幡山に城を築きし時八幡に移り,
刀剣を脱して商人となり、志を立て地方物産を関東各地に天秤棒を肩にして行商し、寛永年
間徳川氏開府の時、機敏にも武蔵野の草を掃い率先、日本橋に店を開き、近江商人の第一
号八幡在、近江屋、伴伝兵衛商店の故郷伴中山城。今も近江八幡市の資料館として、亦、明
治維新後は八幡小学校、八幡町役場、近江兄弟社図書館として、伴伝兵衛家は、市に寄贈さ
れ今も豪商の名残を伝えている。(明治40年発行八幡商業高、近江商人記、八幡、市誌より) |