7.神社の由来

  三十八社    大字伴中山字神田鎮座 
     延喜式内神社は格式の一つで、京都御所
     を守護する宮といわれ、水口では、北内貴
     川田神社と水口神社で、伴中山の三十
     八社は、惣社とよばれていた。
     伴中山は明治時代から区の申し合わせ事
     として決められたことを見回る役員のこ
     とを「看守社」と云った。

   決め事は次の2件。
     @田の上の「ケロ(雑草地)」には稲作の日陰になるので、松や杉等、大きくなる木は生やさな
        い様にする。
     A毎年、伴中山区の山林全体を松茸山として競売に賭けられるので、期間内 (秋の彼岸〜
        11月3日迄)は各戸入山禁止の以上2件の事。見回る監視をするのが看守社の役割であ
        った。然し、戦時中は若者が皆徴兵され中断せざるを得なかったが、戦後青年団が復活し
        近年まで続けられた。
        参堂入り口大鳥居前の大きい石灯篭東側は、明治34年伴中山看守社(伴中山の若い衆が
        入会権区域境界の見回りと)松茸山の入札売り上げ金を以て献納、西側は当地、坊村出
        身で現在八王寺市在住の元造り酒屋(屋号、角八)富田鉄治郎氏が同年御寄進された
        ものである。

 
               三十八社神輿


神輿裏板


                     拝 殿

      *元禄時代建築の旧拝殿は老朽化し倒壊寸前となり氏子の寄進より平成元年新築 され
         る。近郷にはない、立禮式の近代的な拝殿。

     春の大祭は近江祭りの4月20日に近年まで祭
   されていたが時代と共に御神輿の担ぎ手の手配が
  困難になり、4月の第3日曜日に変更され例年とり行
   はれている。当社の御神輿の由来は定かでないが
   神輿の底板には、慶長16年亥年8月、…日とまで
   は判読出来る墨跡、鮮やかな文字があり神輿の新
   造された年月か? 社伝記録には元禄10丁丑年2
   月吉祥日(1697)年建立成就とあり、何れにしても
   百年の年月を経た物で大切にお守りすべき宝
   である。

 
      本殿は二間社で他社に余り類が無く
        現市の重要文化財に指定されている。

   祭神  国狭槌命  瓊々杵尊  菅原道真公
   社殿  二間社流造桧皮葺 間口 十二尺 奥行  六尺 南面
   由緒  延長四年勘進建立伴谷村の惣社で、三十八所大明神として祀る神は、の守護神とし
             て祀り、慈恵大師奉勅により勘進建立した智禅院中山天神七代地神五代般若十六善
             神法華十羅刹以上の三十八神を中山寺寺、又中山神社と言った時もあり祭神 国狭
             槌命 瓊々杵尊 菅原道真公を合わせ祀る、又 社務所内には一尺余りの円石で占
             石であり、山村神社と同じように吉凶を占うものである。
   境内社   八幡神社  勝手神社  今宮神社  金比羅神社  秋葉神社 
                 皇太神宮遥拝所  稲荷神社 
   境外社   天神山々頂に水受神社。(スズケ)神社〔祭神、八大龍王〕 

 
                  中興本殿再建次第 延享2年

        
                        神饌殿・旧 奉安殿

     *伴谷小学校奉安殿(天皇の御真影を祭るところ)として小学校裏の台地にあった物を、忠
        魂碑と共に壊される処をこっそりと現在の場所に移築し、神饌殿として使用されている。

 

川が無く橋だけが残された、石橋がある。
この下馬所反橋は貞享元甲子年9月20日(1
685)年の建立と記録にあり、24枚の板石を2
列にならべ中央に3本の橋脚を立て、ぬきを
用いた構造となっている。
この様式はめずらしく、甲賀市内には嶬峨
の八坂神社・水口の水口神社の三社のみで
石造物として良く出来ていると、甲賀の有名
な石造物として記録に残されている。
        『甲賀の石造文化財より』

 
           (銘文)陽鋳)

 平成14年10月20日〜11月24日まで栗東
 歴史民族博物館で企画展「近江の鋳物
 師。辻村の鋳物師の活躍」が開催され、
 三十八社の「湯釜」の出展依頼の要請で
 展示した。

(胴部)甲賀伴中山村三十八所御釜。御湯・
鉄湯釜 ・慶安4年12月吉日・ (1651)大工、
辻村(栗東市・葉山・辻村)田中理兵衛と記
録にあり。全国的にも有名な貴重な宝物で
ある。

  現在の社務所は昭和48年4月20日新築竣工。区の補助金300万円、他。氏子寄付金等合
  計で 1.000万円を費やし完成された。

            ・戦没者忠魂碑      現在の日本の繁栄の人柱と成られた日清・日露以降の
                                            伴中山出身御英霊伴中山戦没者御芳名

a     御 芳 名

死亡年月日

遺 族 名

付 記

1

   藤岡 栄太郎   明治38・03・01    藤岡 栄一郎 a

2

   富田 仙太郎   昭和12・11・24    富田       昭

京都 在住

3    栢木    利一   昭和14・04・14    栢木    昌子 a
4    嶋林    四郎   昭和15・10・01    嶋林      進 a
5    前田      茂   昭和18・10・09    前田    陽三 a
6    藤岡    忠夫   昭和18・11・26    藤岡    文夫 a
7    平田    次雄   昭和19・02・25    平田    保雄 a
8    富田      勇    昭和19・04・04    富田    昭平 a
9    西川 三代治   昭和19・08・25    西川    典男 a
10    平田    義美    昭和19・10・25    平田    保雄 a
11    寺村    宗一   昭和19・11・22    寺村    勇亮 a
12    西川    嘉平   昭和19・12・04    西川    典男 a
13    早瀬    義一   昭和19・12・08    早瀬    義教 a
14    前田    義次   昭和20・03・08    前田    貞雄 a
15    中井    富三   昭和20・03・10    中井    和義 a
16    前田    敏雄   昭和20・03・27    前田    清司 a
17    富田    幸吉   昭和20・04・24    富田 長三郎 a
18    初田    敏人   昭和21・03・02    初田 弥寿男
19    藤岡 安喜雄   昭和21・03・19    藤岡    新吉 a
        

  伴谷小学校裏山頂上に祭られていた
  忠魂碑を戦後処理として廃棄命令が
  出された時、村人がこっそりと、現在
  地に牛車(車を牛に曳かせる)にて運
  びお祭りしている。
  霊域には戦没者の名を刻んだ墓碑
  があり、毎年3月初旬地区顕彰会に
  て、盛大に法事を営んでいる。

          
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