1.伴谷の由来及び各字の由来

    伴谷は、大字八田、春日、下山、伴中山、山の五大字の総称で明治5年区制施行第二区に
   入り同18年に併合戸長役場を春日に定め同22年4月町村制実施にあたり伴谷村となった。
  同年村役場が、伴中山に設置された。明治43年2月25日伴谷村は村是を定め自治の実績
   を挙げ、内務省の推賞を受け模範村と称せられた。
  古代より伴谷は、山直氏が支配し、本拠地であった。永久2年8月源義光郷が支配し金光院
   領とし、永く燈油料を納めさせていた。その後、園城寺内金光院領に転じ、長寛2年以後は柏
   木荘の御厨司に入った。
 1. 大字伴中山     住家110戸
   伴中山は、神宮領柏木御厨司五郷の一つで、元徳3年注進目録に出る中山郷である。中
  山民部丞(伴氏一族)の所領後柏木御厨司職山中氏の管治下となった。
   応仁以来、再度伴氏支配下となり天正13年中村一氏、増田長盛、長束正家と代わり、伴
  上野介資光氏、伴勘左衛門氏の所領となり、寛永11年水口城代小堀遠江守や代官平岡四
  郎左衛門、鳥居伊賀守となり、正徳2年加藤和泉守より世襲することとなった。
   明和8年旗本美濃部伊織の支配下、天明以後代官は、岩出伊右衛門、多羅尾四郎右衛
  門、天保四年稲葉長門守の堤封に入り子孫世襲することとなり、明治維新となった。
 

 2.地形・地質・山

 1.地形地質
   伴谷地区は変形五角形にして周囲は松尾、名坂、北脇、泉、岩根、下田、蒲生郡に接し、伴
  中山地区はそのほぼ中央南に位置し、変形長方形を形成している。地質は、青の軟岩、白の
  軟岩が出、第三紀層と砂土の少し入った土で、四紀層は重粘土地で、土質は、粘質壤土、砂
  質壤土の土地柄である。
 2.伴中山の山 6カ所
   平尾山、高さ、約6m余り、本村南にあり、周囲約25q、平尾、座禅坊、北脇、山村に囲ま
  れる。現在は工業団地。
  高塚山、高さ、約15m余り、周囲約5q、正保、南は北脇に接し、現在は工業団地、峯道山、
  高さ約6m余り、周囲約7q、南は百姓村、西は六反田、北は春日、東は山村に囲まれる。
  狐山、高さ約6m余り、周囲約2q、峯道山の西北に位置す。
  椎木山、高さ約6m、周囲約30q、本村西北にあり、北は春日、西は下山、南一帯は神田
  に面する。
  官山、高さ約8m、面積約2,500u伴中山の北東に在り。(明治18年伴中山地誌)による。 
 3.伴中山の小字20カ所
  笹尾、正保、北山、座禅坊、神田、城下、平尾、中切、百姓村、小谷、六反田馳登、峯道、杭
  原、岸田、岩谷、西浦、村外、椎木谷、芳ケ谷。