6.環境問題と広場の購入 平成6年頃〜

    分区前年の平成6年には さまざまな環境問題がおこりました。
 
広場の購入
   今の広場は、かつて団地の造成中には沈砂池(土砂などでにごった雨水など溜めて砂を底
  に沈めてから澄んだ水を下流に流すための池)でした。開発後は埋め立てられて空き地にな
  り、しばらくは産廃が投棄されていたそうです(その頃はまだ区の土地ではありませんでした)。
  一時期、産廃投棄はおさまっていたのですが、平成6年の5月にこの土地が別の産廃業者の
  手に渡りそうになったため、積極的な産廃投棄が再開する恐れがあったので、区はそれを阻
  止しようとしました。
   そこで町に土地を買い取ってもらうよう、ただちに要請したところ、5月12日に水口町の助
  役が公用車で総務部長、都市計画課課長らを連れて4人で広場を視察に訪れました。そのと
  き助役は「ここは比良山まで眺望でき、池には鴨も遊ぶ一等地、公園にするには最適の場所
  だ」と絶賛しました。その場では二三四区民(
27人)が広場に集まり陳情もしました。たとえ助
  役といえども5000万円以上は議会に諮(はか)らなければならないため、後日、区長は地主
  ともに助役室で協議を行い、土地の値段が決まりました。その際、7400万円という値段は町
  が決めた金額なのです。この日は二三四区民が大勢で役場まで陳情に出向きました。人数
  は役場廊下に入りきれないほどでした(1階ロビーから3階までうめつくした)。
   6月3日に請願署名2316名分を提出。6月8日の町議会本会議にて、充分な調査が必要
  として総務常任委員会に付託され継続審査となりました。さらに9月14日の本会議において
  も、町にとって重要な問題であるとして再度継続審査に。それを受け、9月19・22日の町議会
  総務常任委員会(議員
12人)に桜ヶ丘区長は出席し、経緯と状況のすべてを説明しました。
  『郡都行政のナンバー2が視察に来、業社(地主)を呼べといい、行政の一室で協議をし、しか
  も価格を行政が決めたものを、何故われわれが買い取らなければならなくなったのか?』と。
  その結果、「二三四区第二地区区民広場の設置について」の請願は常任委員会で全員賛成、
  採択されました。そしてついに、9月26日の町定例議会でも、請願は満場一致で趣旨採択さ
  れました。
   
区では町が7400万円を支払うものと信じ頭金740万円を立て替えましたが、町は支払って
  はくれませんでした。その後も粘り強く実行を急ぐよう町に働きかけましたが進展せず、区長
  の交代などもあって町との交渉に隙ができたことなどから実現が難しくなりました。保育園用
  地として町が土地を買い取るという話も、松尾団地に建設されてしまったことで、実現しなくな
  りました。

 ふみよ集会所の西側付近のこと
   
平成6年 守山の思い川(松尾・伴谷を水源とする思い川は野洲側に合流した後、守山で再
  び思い川として分流するそうです)河川敷工事の土砂が持ち込まれ、埋められはじめました。
  当時の区長はダンプの前に両手を広げて立ちはだかるなど断固として通行と廃棄に抗議、そ
  のため数台のダンプカーに取り囲まれるということもありました。 二三四区では住民集会
  開き、そこには工事業者社長にも説明のため列席してもらった上で、土砂投棄について反対
  する旨を決議しました。それ以降ダンプは入ってきませんでした。

 給水塔の裏 〜日野境界付近での産廃埋め立て問題〜
   
平成6年の年末、産業廃棄物の投棄をめぐる問題が、旧給水塔の裏でおこりました。
  旧給水塔より東はすぐ日野町で、今は「すまいるペットれいえん」になっている場所です。
  11月に業者の代理の人から、産廃を投棄するために区通行許可の申し出がありましたが、当
  時の住民の総意に基づき区長は拒否しました
(年末に文書で業者から脅されましたが断固拒
  否を貫きました)
その後、ダンプカーは第四水口台を通行し廃棄を開始。本来コンクリート片
  などの「安定型」産廃のはずでしたが、立ち入ってみるとそこには電池、注射針などの有害な
  産廃も混ざって捨てられていました。ただちに町へ視察を要請するも、私有地には立ち入りは
  出来ないと拒否されました。
   
産廃投棄はしばらく続けましたが、まもなく日野川で有害物質が検出され、産廃は中止され
  ました。
 県道の拡幅
 
平成6年までは、県道は(伴谷方面から来ると)グリーン滋賀ゴルフまでしか舗装道路がな
  く、あとは砂利道でした。もしトラックなどがその砂利道を通ろうものなら車は対向できず、そ
  のため小学生はあぜ道を歩いて通っていました。
   山区の区長や地権者の方々にお願いをして拡幅工事のために土地を提供していただきま
     した(要望の際には3
.8m以上の道路にして歩道を設置し、歩道は自転車通行可としてもらう
     ようにした。そうしないと自転車が車道を通らなければならなくなるため)
     その頃は外灯がなく、冬には中学生が真っ暗な中、あの長い道を自転車で下校していました。

     第二、三水口台で要望し、田の所有者にもお願いし、年に2本づつ水銀灯をつけてもらいまし
     た。
  春日観光 〜ゴルフ場開発〜

    平成2年に春日観光ゴルフ場建設に二三四区として同意。(今のベアズパウゴルフ場)
    
その後も住民生活を守るための交渉が区と業者との間でなされました。毎週、区長らは交渉
     の場に足を運び、平成10年に桜ヶ丘区あてに1100万円の寄付を取付ける事ができました、
     そのお金は集会所建設に全額あてられました。

  猟区

      年ごろ、このあたりはまだ猟区になってい
  て、千代坊池などでは希に猟師が鴨などを

  う銃声が響くこともありました。

 区内の道路
  区内の道路は凸凹がひどかったため平成6
  
年から大がかりな補修を始めました。
           【写真はC・Dブロック間の道路】