4.二三四自治会の頃 昭和51〜

  自治会の結成(昭和51年)

  水道組合結成により、既に住民(第二、三、四)の連帯感は頂
  点に達していましたが、地域住民との交流を図るため、二三四
 
治会を結成しました。(第二・三・四なので二三四でふみよと
  呼ぶ)
  そして山、春日、広野台、下山、第五水口台(菅谷)などとの
  流・親睦を求めるようになりました。母体である山村とは特に

 
流を行い、親睦を深めました。
  子ども会は常に、山区におんぶにだっこで協力してもらいまし
  た。
今、小学校は別々でありますが、当時はつながりが深かっ
  たのです。
当区が現在あるのも、協力していただいたことが大き
  いと思います

    組 織
   「二三四自治会長」が居り、各水口台にはそれぞれ「地区長」を置きました。
  初代の「二三四自治会長」は第二水口台(現桜ヶ丘)の清水氏が就かれました。
   二三四会館竣工

        
                       当時はすすき野原だった事がよくわかる。 写真提供=第三網本氏

   昭和56年二三四会館が完成。
     二三四会館付近から第四水口台方面の眺望。 左は建設前(昭和54年頃)、右は56年秋。

 
                        会館では竣工祝賀会が開かれ、喜びを分かちあいました。
 

 二三四自治会の頃の行事など
   水祭り

      会館完成から3年後の昭和59年、ようやく永年の願いであった町営上水道が開通しました。
    自治会ではそれを記念して町営水道化記念水祭り(ミニ運動会)を開催し、水道組合の在りし
    日の苦労を偲ぶとともに、水の大切さを語り継いで行こうと誓い合いました。二三四会館横の
    広場にて。
毎年開催されていました。(住民にとって大事なもの、それは水でした!)

  

   誇らしげに高々と掲げられた「町水道開通2周年記念」のタイトル。 紅白で飾られ、当時の喜びが感じられる。
  

  水口交通安全大会(通称歩け歩け大会)への参加
     
交通事故が急増した昭和40年代に始まったこの大会は、
     全域の町民が交通安全をアピールしながら指定されたコー
    スを行進し、スポーツの森で大集結するもので、二三四自治
    会のコースは柏木神社→スポーツの森までを歩き、毎年参
     加していました。
                                               スポーツの森が人で一杯に→

   

    敬老の集い(伴谷地区)
       当時の敬老の日の
     集いは伴谷全体の規
     模で開かれていまし
     た。

  

  子供会
   
開発当初は山区の子
  供会
に大変お世話にな
  り、その後二三四子供
  会として独立しました。

 

   

   二三四納涼祭
   
二三四の広場で行わ
  れていました。

     新設校など
      
当時は全国的に児童・生徒数が急増した頃で、各地で新設校が開校しました。

     S50 水口東高校開校
      町内2校めの高校として
    開校。それに伴い、それ
    までの甲賀高校」

    称を「水口高校」へ改名。

   
S51 伴谷保育園
     (開園はS34)
      
増築と園庭拡張 





    S
52 水口中学校新設 
     貴生川中と水口中が統合  
     新校舎が今の場所に建設

      S53 伴谷小学校校舎
            増築
 

   S55 〃グランドの拡張




 
  S62 城山中学校開校
     
  開校当時、まだ第二、第四
      水口台は校区に入っていない
      校区に入るのはH13年度から

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