時 代 年 号 |
主 要 事 項 |
備 考 |
1916〜1921 |
大正05年〜10年 |
広野郷耕地整理事業が行われる |
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1961 |
昭和36年09月 |
広野郷記念碑が建立される |
1970 |
昭和45年12月 |
大字下山小字細工谷、牛飼塚、広野、丈ヶ谷の山林原野を
大倉土地開発公団へ売却される |
1972 |
昭和47年12月 |
宅地分譲され現広野台西区より入居始まる |
1971〜1972 |
昭和46年〜47年 |
水口町下山地先に、大倉建設により翠ガ丘ニュ-タウンとして
開発造成される (現広野台東区誕生する) |
1972 |
昭和47年12月 |
宅地分譲され現広野台西区より入居始まる |
1973 |
昭和48年00月 |
水口町下山地先に、大倉建設により翠ガ丘ニュ-タウンとして
開発造成される (現広野台東区誕生する) |
1975 |
昭和50年04月 |
広野台自治会が結成される |
1979 |
昭和54年04月 |
広野台区として水口町から認知される |
昭和54年00月 |
広野台ヤングエ-ス結成、其の後伴谷スポ-ツ少年団に発展的
解消していく |
昭和54年08月 |
地域行事として始めて納涼祭を行い以後自治会活動へと
引継ぐ |
1980 |
昭和55年00月 |
前年のヤングエ-ス結成に続き広野台キングエ-ス結成する |
1980 |
昭和55年00月 |
広野台子供会誕生する |
1982 |
昭和57年11月 |
広野台の集会所竣工する (現在の東区集会所にあたる) |
世帯数・135 |
1983〜1984 |
昭和58年〜59年 |
広野台集会所前に多目的広場を造成する |
a |
1984 |
昭和59年00月 |
広野台東区の私設水道が町水道になる |
1985 |
昭和60年00月 |
広野台老人クラブ結成される |
会員数・8名 |
1986 |
昭和61年08月 |
広野台有志によるお地蔵さんの購入と地蔵盆が開催される |
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1992〜1994 |
平成04年〜06年 |
広野台東区下山側出入口に歩道工事が着手され完成する |
1994 |
平成06年00月 |
分区と西区集会所の建設委員会設立される |
1995 |
平成07年04月 |
広野台東区と広野台西区にそれぞれ分区独立する |
東区世帯数253 |
平成07年04月 |
広野台東区子供会と広野台西区子供会に分離する |
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平成07年11月 |
広野台西区の集会所竣工する |
1998 |
平成10年04月 |
あすの広野台を創る会として、広野台明広会が発足する |
平成10年04月 |
広野台団地内にハートバス運行開始する |
2000 |
平成12年02月 |
広野台東西区として町議会議員擁立、初当選町議会議員
誕生する |
東区世帯数281 |
平成12年08月 |
周辺企業と環境問題について取り組みを開始し、継続している |
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2002 |
平成14年04月 |
水口町で初の女性区長誕生する |
平成14年07月 |
広野台団地内に通学バスの運行はじまる |
2003 |
平成15年01月 |
6班下の調整池跡にみどりが丘公園完成する |
平成15年01月 |
広野台東区自主防災会発足する |
平成15年12月 |
大倉建設kkより団地内余剰地・道路など水口町へ寄付
移管されすべて町道認定される |
2004 |
平成16年05月 |
町道泉・下山幹線との交差点より東側に歩道完成する |
平成16年10月 |
水口・土山・甲南・甲賀・信楽の合併により甲賀市となる |
2005
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平成17年04月 |
老人会東西に分離、広野台東区老人クラブ発足した |
東区世帯数298 |
平成17年06月 |
広野台東区下水道工事が着工される |
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平成17年08月 |
国道1号線につながる、泉下山幹線が開通する |
2006 |
平成18年01月 |
冠水対策として側構改良工事を着工する |
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